はてなキーワード: 料理とは
おもしろかったという客がいま擁護してますかね。自分がうまいと思っていた料理にウンコが混ざっていたと知った気分と同じじゃないでしょうか。
ちゃんとした客ほどバカを見たような気分になっているんじゃないでしょうかね。それこそ、作品擁護、スタッフ擁護があまり出てこない理由ではないでしょうか。
セクシー田中さんの原作者の告発ブログが出たときは「ドラマはおもしろかった。でも原作者が脚本を手掛けた9話10話の脚本は微妙だった」という意見もありました。
いまもそれを言ってる客(非客)はいますか?とてもいえない状況になりました。次のドラマは中止。日本テレビおよびスタッフへの誹謗中傷や批判は続く。社長が謝罪する。まぎれもないビジネス失敗です。
では次にビジネスを失敗しないためにどうしたらいいでしょう。フェアにやるのが簡単で合理的です。原作に忠実というオーダーがあるなら忠実にやればいいだけです。それがダメなら最初からオリジナルでやればいいだけです。コストやリスクを考えたまっとうなビジネスならそれが1番まちがいないです。
私割と誰でもすぐ好きになる方だし、常に機嫌が良くて料理も得意でありがとうを言う方なんだけど、男性からは相手にされる頃がほとんどないね。自分の身長と学歴は下げられないからね。(相手にはどちらも求めてない
急になんか暑くなってきたような
気候のこの暑くなってきかけていることへ対応出来ていない身体の変化なのかしら?
気怠いわー眠いわーってな具合で、
ぼちぼちまた梅雨入りしたらそうなったらなったで気怠さがアップしまくりまくりまくりすてぃーなのかしら?と懸念を唱えるわ。
最近私茹で鶏をよく作るようになって
その間にお風呂入っておいて
お風呂上がりにサッとその塩コショウを洗ってボウルにお湯を張って1時間ぐらい熱湯につけておくの。
そろそろお腹空いたかなーって良い時間の頃合いにちょうど出来上がんのよね!
かなり塩コショウ強めに本当に鶏肉がコショウで真っ黒になっても平気なぐらいふりかけて
私的にはもうそれ以外の調味料をなにも加えることがなくそのまま食べて美味しい茹で鶏が作れるのよね。
これが美味しいわー。
我ながら手前味噌というか我引水田とうか自分で言いながらとても良い仕上がりなのよ。
そこでまた冬に買ってちょっと使ってなかった間があった電気ポットの大活躍!
そう私は2リットルじゃなくて3リットルのちょっと大容量のポットは余してしまうかと思っていたけれど、
大量のお湯は文字通り湯水のようにお湯が使えて
これは一気に大量にお湯が沸かせるし、
私の優秀なお湯沸かしロボットなのよ!
お湯沸かしロボットって言い方するとなんか近未来アイティー感AIみに溢れている感じだけど
茹で鶏をより効率化して生産できるファクトリーオートメーションを地で行くような
効率化を図ることができているのよ。
夏になったら電気ポット使い道ないんじゃね?って思っていたけれど、
逆よ逆
夏の美味しいシーズンの茹で鶏を作るに最適なのよ!
茹で鶏のベストシーズンって今なの?って思ってしまっちゃったわ。
ほぼ私の手仕事は塩コショウを振るだけ!って言うこれは料理とは言っていいにはほど遠いぐらい簡単なのよ。
新垣結衣ちゃんもぎりぎり面倒くさくないチキンラーメンのお湯を沸かすよりも面倒くさくない塩コショウを振るだけ!
一気に大量生産作り置きは保存容器に入れておいていつでも茹で鶏が食べられる体制に持っていけばペキカンじゃね?って思うの。
その計画中よ!
上手くいったらまた報告するわ。
でもーさ
鶏肉惣菜を買ってもなんか値段的にはそんなに変わんないのよねーって思いつつ
自炊だからって急激に節約できるかって言われたらそうでも無いけれど
ってまずは茹で鶏を一気に生産規模を2倍にしてみようかなって思う、
そんなベストシーズン到来の茹で鶏が美味しくできて嬉しいのよ。
うふふ。
昨日の晩お味噌汁作ったので、
それを朝温めていただいてきたわ。
豆腐美味しいわー。
木綿豆腐使ってんだけど美味しいわー。
我ながら美味しいわーって感激してしまうわ。
なので
最近茹で鶏で塩コショウ消費とこのお味噌汁で味噌消費が多いです。
いまはそのシーズンの夜だったのかも。
地味にたくさん買っておいてあるルイボスティーウォーラーのパックも使わなくっちゃってことで
暑くなってきたので、
水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20230303222812
作者の名前は、当時の大学の同級生が村上春樹の話題をしていたので知った、というところである。
当時自分はほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。
最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかけである。
最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。
自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである。
すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。
ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすくフェティッシュな描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。
特に、主人公の住んでいる部屋の細かい描写、物語終盤で主人公がレストランで食事をするシーン、女性のために簡単な料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。
物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめした陰湿な描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。
主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。
ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差し込まれる季節感豊かな風景描写が美しいと思った。
色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。
主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性にモテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品なコピペで描写されている元ネタなのかなと思った。
もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。
ナッシュとかは限られたメニューの中から選択する感じだから、まだ不足かな
むしろ「あすけん」のような栄養バランスやカロリーを気にするユーザーがいるサービスで、拡張機能として最適栄養バランス・最適価格での料理提供サービスが出せれば刺さるような気がする
ChatGPTがスーパーのチラシを読んで献立を考えてくれるなら、そのうち「栄養バランスと材料の価格を考慮しながら、家の人間のスケジュールを読みつつ、先の日程の献立を考えて自動で買い物をし、食材の在庫を管理しながら、自動で料理を作る」くらいまでできるよな
下方婚とか主夫にはこだわらずに、料理や家事が好きで得意な男を見つけて結婚すればいいと思う。
ただ「料理や家事が好きで得意な男」は人気があるのと、アプリや相談所のプロフィールではわからないこともあるのが難点。
掃除が苦手で汚部屋暮らしとか、料理が苦手で自炊をまったくしていなくて、外食やお惣菜だけとか。
一人暮らしに困難があるレベルだと、男であっても不人気で、女だとさらに厳しいので、例えばルンバや食洗機など便利家電、ミールキットの導入とかでどう克服するかを考えた方がいいかも。
家事の場合、得意・不得意とは別に「求めるレベル」っていうのも関係してくるから、例えば、料理はお惣菜やミールキット、外食でもOKな相手だったら楽になるかな。
結局どうすればモテんだかわかんねえだろこれじゃあよ〜!!!!
とキレキレになったので自分なりにまとめてみたぞ!!!!!!!
▼そもそもゴールはどこか?
ではやるべきことが全然違ってくる
ここをごっちゃにしたままだから、「人として見ろ」と「ヤリチンは人として見なくても大丈夫じゃん。人としてみるとか綺麗事」が錯綜してしまうのである。(まあ元ヤリチンが一生のパートナーを得ている場合もあるが、希であると思う。大体映画の愚行録で殺された夫婦みたいになりがちだ)
というわけで、まずゴールを決めよう
この時非モテは努力するのが苦しいあまり「いつでもいっぱいヤレて一生安心できるパートナーがほしい!見た目も超タイプで!」とか求めだしてしまう
しかし普通は全部一気には無理なので、「まずはつきあえたらいいな」とか「ヤリまくるのは無理でも心の繋がりが持てたら」とか「性格が最悪で多少歳いって太っててもいいからせめて顔は死守したい…」とか決めてスモールステップするといい
・ヤリたい、とりあえず経験として異性とつきあってみたい派
→ガワから入るといい。一般的にモテる動作、話し方、ファッション、友達作りなど頑張るといい。自分はあまり好きではないが、ここにおいては恋愛工学も有用かもしれない。
こういう恋人作りを批判する人もいるだろうが、女でも「寂しいし誰でもいいから彼氏欲しい」タイプは存在するので、そういう相手とマッチングする分にはなんら問題ないと思う。
・ある程度長期的なパートナーがほしい派(または上記方法でうまくいかない時)→自己分析のターンに入る
▼自己分析のターン
パートナーがほしい!となった時に重要になるのが、「自分は相手から何が欲しいのか?」「自分は何を相手にあげられるか?」という分析である
・何が欲しいのか
個人的には「可愛がられたい」か「可愛がりたい」かで分けるとわかりやすいと思う
自分を取り繕えない、嘘つけない、よく見せることに罪悪感のあるタイプは大抵「可愛がられたい」だ。とにかくありのまま受け入れられたい。
そういうタイプが探すべきは「懐の深い」「情にあつい」「優しい」「偏見の少ない」タイプだ。
一方で「可愛がりたい」タイプはターゲットにできる層が厚い。可愛い!と思うタイプが広ければ広いほど枠は広がる。ただ可愛い!と思うタイプが一般的な美少女とかモデルとか倍率が高いものになると途端に厳しくなるのでご注意。
自分は可愛がられたい/可愛がりたいからこの辺のタイプがよさそ〜とわかったら次は「何をあげられるか?」を考えよう。
・何をあげられるか
恋愛とはお互いがwinの状態になって初めて成り立つものである。「自分と付き合うことで相手にどんな益が生まれるのか?」を考え提供しなければまず成功はしない。
ここで「そんなん金があればいいんだろ!」となって稼ぐことに必死になってしまう人は大抵モテない。女は金だけで釣られるわけではない。大体金だけで釣られる女がきても嬉しくないだろう。(そんなこんなで医者の知り合いは合コンで身分を隠すようになってしまった)
俺みたいな非モテ、益なんて与えられねー!金くらいしかない!と思ってしまう人もいるかもしれないが、落ち着いて考えて欲しい。世の中、当たり前にあるものが実は宝だったりする。
例えば、のんびりしたおおらかな性格なら「リラックスした穏やかな時間」をあげられる。
キチっとした性格なら「整理整頓されたスマートな生活」を提供できる
映画オタクだったら「映画の豊富な知識」。料理好きなら「美味しいもの」などなど…本当に小さくてもいいので「これならちょっとはあげられる」というものを見つけてみよう。卑屈にならず長所を見つけまくろう。
そうすると多少見えてくるはずだ。
おおらかな人なら、ちょっと気難しいタイプや気が強いタイプに必要とされそう
キチっとした人なら、そういうのに憧れるズボラなタイプに必要とされそう
映画オタクだったら、芸術好きで好奇心旺盛なタイプに必要とされそう
のようなような
そういう子がいそうな場所に行くのだ。もしくはマッチングアプリでそういうタイプを探すのだ。
(恋愛目当てに行くなんて社会人サークル荒らしみたいでイヤッ!という方はマチアプ全力投球で頑張るのもあり)
そしてようやくここ…っ
ようやくここから「相手に人として接する」が始まる!!!!(パンパカパー)
結局人としてってどゆことやねんであるが、簡単にいうと「その人個人として見る」ということである。
女は(誰でもいいけど付き合いたい勢を除き)基本、体目当てで寄ってこられて消費されるのを嫌う。「女なら誰でもいい」系の男は相当アウトローな魅力がない限り蛇蝎のごとく嫌われる。
その辺わからず「かわいいから〜」「好みだから〜」というテンションで最初から異性として意識してまーす!という匂い漂わせ近づくと「こいつ顔と体しか見てねえだろ!」と思われ嫌悪感を持たれてしまうのである。
だからあれだな、「人としてみる」は「女として見すぎない」でもある。
いきなり向けられる好意は、それがもし純粋なものだとしても、女性側からしてみたら「なんで話もしてないのにこんなに好いて来るの?」→「顔と体で寄ってきたんじゃないか?」と不信感を抱かせる。
なのでまあ、しっかり関係を構築したいなら、初手から好意を見せるのは悪手である。どんなに見た目がタイプでアタックしたくても、まずは相手の中身、パーソナルについて触れていく方が勝率が高い。
が!!!パーソナルを掘る相手が可愛い子ばかりだと、「こいつ結局…」とモロにバレるので注意が必要だ。
普段からいろんな人に興味を持ち、コミュニケーションを取っていくことでこの露骨さは消えるので、モテたいなら友達は積極的に作っていこう。あと単純にたくさん友達作るとコミュニケーション経験値が上がるし、いろいろとFBをもらえるようになるしいいことづくしである。それができたら苦労しねえ!という方は、好意を隠す訓練を頑張るしかない
そしてここまでくるとあの考え…「それだとぬいペニになるのでは?」が浮かぶはずだ。
もちろんその可能性はある。ただ、考えても見て欲しい。「ごめんそういう気持ちはなくて友達だと思ってた」は女でも男でも好意を見せた時に発生する確率のあるイベントである。
つまり…起こるものは起こる!!!!ある程度みんなある!!!!!
ただ、ぬいペニを起こさないテクはある。それがどっかの増田も書いていたが「徐々に好意を見せていく」という手だ。
例えば一緒にご飯を食べに行った時、「◎◎さんて美味しそうに食べるよね」とか「字が綺麗だよね」とか「いつもきちんとしてるよね」とか褒める。ふんわりと「あなたのこといいなーと思ってるよ」と伝えるのである。
この辺りで反応を見る。嬉しそうだったら多少脈アリ、簡素な返事だったり距離を置かれたりしたら脈なしなので残念ながら次に行こう。
脈アリそうならもうちょっと褒めてみる。「髪型凝ってるね!すごい!」「笑ってる顔可愛いって言われない?」「その本読んでみたいな」
こうやって少しずつ「大丈夫かな?嫌じゃないかな?」と近づいていく。(もし嫌がったら「ごめんね」と離れること。それがセクハラをしないために必要なことである)
そして最終、「◎◎さんの恋人は幸せだろうな」とか「ふたりきりで行きたいところがあるんだ」等に乗ってきてくれるようになったらあとはゴー!である
これをせずただ友達として過ごし、ある日突然好きだと言っても相手も面食らってしまう。「そういう相手だと思ってなかった」となってしまう。
なので「あ、この人自分のこと好きそうだな」と微妙に気づかせるため、好きの種を蒔いておくといい。
更に言えばこの際に、「日曜はおれ美味しいご飯いっぱい作るよ」とか「おすすめの映画見まくろう」とか付き合ったらどうなるかをイメージさせられるとよい
(まあここまでやっても好意を理解しない恐るべし鈍感女もいるので、そういうのに当たった場合は運が悪かったと思って次にいこう…)
ここまでくればかなり目的に近づけると思うが…それでもたまに「いい人だとは思うんだけど」となってしまう人もいるだろう。
そんな人に足りないのは、ズバリ、「ドキッとさせる力」である。
これは男性なら少女漫画、女性なら男性向け恋愛漫画を読んである程度ドキっとパターンを学習することをおすすめする。
基本はこの二択だ
1、ワガママだったり我の強いヤツが強引にくるor自分にだけ弱い顔を見せる
2、真面目で優しい子が、自分にだけ男っぽい(女っぽい)側面を見せる
非モテは基本2で攻めるといいと思う。いつもふにゃっとした男が「◎◎さん大丈夫!?」とかっこよく駆けつけたりしたらやはりドキーッとする。
そんなシーンないがな!という場合は「エスコート風の動作」が効果的だ。車道側に立つ、エスカレーターで登る時後ろに立つなど、「女性として大事にしていますよ」ということを動作で伝えるだけでだいぶ好印象だ。女性ならたまに裾を掴むとか、もしできちゃうなら肩とかくっつけてしまうのもいい。性的な魅力をちょっとアピールするのだ。
男性で手が骨張ってたりしたら、楽器を弾くところやPCを叩くところを見てもらうのもいい。女は大抵かっこいい手が好きなので。イケボならカラオケも効果的!
…そしてここまでやってようやく彼女・彼氏ができる…というわけでもない。
人間関係は良くも悪くも所詮相性である。巡り合わせが悪ければどうにもならない。
でもそれは裏を返せば、振られてもそれは本人の問題というより相性の問題であると割り切れるということでもある。
(非モテはここですぐ自己を否定された気になって異性を恨み出してしまうのだが、それは無駄な行為である。なんせ合う異性もいれば合わない異性もいる。それだけの話である。モテ男は大変例外的なものだ。)
なので、いつか巡り合うその日のため、自分のペースで少しずつ進んでいくのが良いと思う。自分を責めたり異性を責めたりしてもあまりいい方向にはならんので。
…と長々書いてしまったが、参考になっただろうか。上から目線のクソバイスと思う人もいるかもしれないが、一応私なりに非モテの皆さんの幸せを願って書いたので、一人にでも役に立ったら幸いだ。
頑張れ非モテ!恋人ができたからといって必ず幸せになるわけではないが、それでもその経験はあなたの人生を豊かにするぞ!グッドラック!!
それ、制服の話だろ?
恋愛に浮かれる男女の話ばっかりされてたら、そりゃ
「心底どうでもいい」
って言うだろ
今から料理をしますって言ってるときに、ずっと明日のデートの話されつづけてたらどうよ?
そりゃ心底どうでもいいよ
それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図が原作者に充分伝わっていなかった、つまり「説明不足」に求めているところ。
本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサーや脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。
以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
日テレの報告書は、調査にあたった外部有識者(弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者が日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。
再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。
日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである。
リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品で大事にしていることを同じように大事にするということであろう。
原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。
芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本で 100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家の理解を期待した。
上記は小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。
両報告書を読んで最も強く感じたのは原作者の孤独と絶望である。原作者は小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。
本来なら原作者と同じスタンスで原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である。
なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣に反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。
のではあるが…
●今回のことを受けて
・これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間の生き方みたいなものを提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサーが代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者、脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。
・放送局としてはまず第一に社員を守ることが仕事。社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものをキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社の仕事。
・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事。
確かに、飲食店の現場は体力勝負なところが多いから、そういう理由で男性が多いのかもね。
でも最近は女性シェフも増えてるし、テクノロジーや調理器具の進化で力に頼らないで済む部分も増えてきてる気がする。
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。