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2022-09-12

anond:20220912095011

親が子供の将来を心配して色々やりすぎるのは、あまり良くないと思うのよ。それで小学校受験とかでエレベーターに乗せて安心、とか、それ本当に子供の為になってるかって。今後、世の中がどう変わっていくか分からないし。だから、今、子供にたくさん愛情を注いであげれば良いと思う。将来は子供自分で何とかするし、自分で何とかすべきなんだよ。

2022-08-15

anond:20220815182722

あれ?小学校受験するような家庭だと

親共モデル並みの高身長なんじゃなかったっけ?

聞いた話と違うな。

子供が低身長になるから背の高い方がいいとか、そんな話ではなかったのか。

2022-06-17

STORYの表紙を見てちょっと泣いた

子供数学の成績よりも着たいワンピのこと考えたい!」

こう表紙にデカデカと書かれたSTORY2022年7月号が色んな意味話題になっていた。

https://storyweb.jp/story/219415/

「女を馬鹿にしてるのか?」「アホなママ」「こんな親を持つ子供はかわいそう」と否定的意見ほとんどだったけど、私は「母がこんな風でいてくれたらうちの家族はどんなに幸せだっただろう」と思った。

うちの父は医師で母は高卒喫茶店店員だった。

父方の祖母は「うちの息子にはもっとふさわしい人がいる」と反対したが、父は親に初めて反抗して押し切って結婚した。

そして私が生まれたけど、祖母は「◯◯(私)の頭が悪ければお前の遺伝子だ。お前は子供を不幸にする」とずっといびっていた。物心ついたばかりの私が既に分かるくらいには。

父も祖母にあまり逆らえなかった(今思えば父も被虐待児だったんだろう)ので、プレッシャーにまみれた教育パパママと化した両親に強制されて私は小学校受験中学受験体験した。

小受の記憶ぶっちゃけあんまりないけど、中受は本当に地獄だった。

第一希望偏差値65程度で、大したことないと思う人もいるかもしれないけど、落ちたらいったい両親はどうなってしまうんだろうと考えながらする勉強は辛かった。

何より大好きな両親が祖母罵倒されたり殴られたりするのが嫌だったので頑張ったけど、受験当日は不安で眠れなかった。

受験間中ずっと母がピリピリしていて、でも私が辛い顔をしているのが見るのも辛い、なんで私はこんなことしてるんだろうっていう顔をずっとしていたのでそれも辛かった。

母は私の勉強を頑張ってサポートするだけでなく、祖母にやいのやいの言われて仕事しながら3食めちゃくちゃしっかり作っていた。3時就寝5時起床とかだったと思う。

弁当マックケンタッキーでうちのマママジ適当wって言ってる子供、点数の低いテスト用紙を見て爆笑してる親子が羨ましくて羨ましくて仕方なかった。

結局合格し、大学就職も順調にいき、私が成人したころ父は祖母と縁を切ったのでそれ以降は平和だった。

当時は全員ボロボロになったけど両親との関係は良好で、特に母とはまあまあな頻度で温泉に行ったり買い物に行ったりする。

一緒にゆっくりつかって上がって二人で横並びでドライヤーをしている時、横を向くと母が笑顔で「幸せだね〜」と嬉しそうに言うので安堵で泣きそうになる。

というか中読んでないから分からないけど、表紙のママはしっっっかり子育てしていてプレッシャー毎日押し潰されそうで、ワンピのこと考えたい(キラキラ)ではなくどっちかというとワンピのこと…考えたい…(げっそり)だと想像する

色々批判されてるけど、「そう考えてもいいのかな」と思えて少しでも救われるママがいればいいんじゃないだろうか。

2022-03-13

勉強しろと言われたことのない人生だった

勉強はできる方だった。先生にも親にも勉強しろと言われたことはない。勝手勉強していた。

しろ親には勉強するなと言われた。大学までの学費など用意してないか勉強しても無駄だと説かれた。

それでも勝手勉強して自腹で大学に行った。

そして今、4歳の子どもがいる。

夫は小学校受験をさせようと言っている。

狙うのは国立。そろそろ対策を考え始めないと遅いだろう。

嫌になる。子ども勉強しろと言わなければならないのが心底嫌だ。

勉強などやりたいときにやればいい。中学生にもなれば目的を持って主体的勉強に取り組むことくらいできるはずだ。海外大学を目指すのでもなければそれから本格的に勉強を始めて遅いことはない、そう思う。

だが。私は勉強したこと自分の住む層が変わった。勉強をする人たちで構成されている今の層は、私が育った勉強をしない人たちで構成されている層よりもいろいろと穏やかだ。

今の層に子ども所属させたいのなら、かなり高確率勉強しろと言わなければならない。

今のところ、既に字が楽に読めるくらいではなさそうである

本当に気が重い。

2021-11-08

明日、某有名幼稚園合格発表なんだけど

ぶっちゃけ落ちててくれと思ってる

倍率6〜7倍?だし、まあ妥当に落ちるとは思うんだけど万が一を想像すると怖い。

受かったら妻の調子乗りが加速するんだろうな。

ここ受かったら、子育てトークという名のこどもポケモンバトルでかなり有利になるんだろ?

娘は集団に馴染むのに時間がかかるほうで、いま保育園にいる仲良しの友達と離すのがかわいそうでしょうがない。

妻とは何度も話し合ったが結局は聞き入れられなかった。

・いま右も左もわからないうちに入っちゃえば大学受験まではキツい受験戦争に巻き込まれずにすむ→それは確かにそう

・全員初対面なんだからいつかは慣れる→それはそうだけど…

って感じでいつのまにか丸めまれしまった。

二月の勝者の「父親経済力母親狂気」という言葉が頭をよぎる。

でも落ちたら落ちたできっと小学校受験って言い出すんだろうな。怖ぇ。

2021-06-22

幼少期の呪い

小さい頃からずっと運動が苦手であった。

記憶がある限りもっとも古い記憶幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれ性質だろう。

バブル経済崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ幼稚園児の頃からヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたもの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。

理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。

小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー日曜日になればいつも父親キャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。

とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。

しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプからいっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。

まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。

そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室苦痛しかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。

ただ、この体操教室で最も苦痛だったことがある。

毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である

このパート自分は決まって最下位であった。

さて、このパート最下位の子供に対しては皆で応援を行う。

大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。

「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。

これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。

この応援、常に

「お前は劣っている、劣っているか最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。

それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)

体操教室で毎回、

「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。

幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)

体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケー最初こそ好奇心真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。

当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。

サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力白紙で提出、常に0点だった。

両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。

そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。

自分トップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的意識に刷り込まれしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。

同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまたことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。

この間、あるネット対戦eスポーツ系の対戦ゲームを買った。

eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦最下位

いくらやっても最下位。前方と比べてダブルスコア最下位

徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲーム苦痛になってきてしまった。

そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。

FPSでもレースゲームでも、自分最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。

ああ、そうか。勝つための努力必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力自分経験則時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。

大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUこちらのルール一方的ボコボコにすることでしか楽しめないんだった。

そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分今日試合を初っ端でリタイアした。

オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。

何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。

きっといつまでも最下位なんだろう。

実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力苦痛だ。もう頑張れない。

幼少期の期待とその投資効率の悪さに今も苦しめられている。どうすりゃいいんだろうか。

2020-12-26

anond:20201226215102

俺も同じこと思ったが、幼稚園児にしては文章も語彙もすごくね?

それともはてな民の子供ではこれが普通なの?

https://anond.hatelabo.jp/20201226145902

小学校受験とかって幼稚園レベルでもここまで勉強しなくちゃなんないの?

2020-12-11

anond:20201208155032

中学受験でイキってる所申し訳ないんだが、小学校受験してない人間ってフィルタリングかかるだけで相当ふるい落とされるのが現実よね

2020-11-19

anond:20201119102134

27歳で世帯年収2000万くらい(手取りもっと下)だけど、家族4人、子供2人、横浜に住んでる。

今はまだ余裕あるけど家買いたいし、子供にしっかりした教育受けさせたいし、取捨選択しないとお金が足りなくなる。多分あれこれやりたいってなると物価も高いし年収1000万じゃ厳しい。家が高い。なんでなん?

お金が無くて諦めたのは子供インター保育園私立小学校受験。あそこはガチ金持ちしか無理。

近所の学校教師不足らしく評判が悪いから、小学校公立に行ってもらって、中学から私立を考えてる。

2020-10-28

日本から捨てられた土地で生まれて」に対する恵まれた側の人間とし

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

最近このエントリーSNSで流れてきて読んだ。

何度かこの手の機会の格差に関する記事を読んできたが、今回のエントリーもなかなか心にくるものがあった。

格差是正とか機会の均等のためにどうするべき、みたいな難しい話はここではしないことにして、ただただ感想を垂れ流してみる。

簡単自己紹介をすると、自分上記エントリでいう恵まれた側の人間である

東京都で育ち、小中高と私立に通い、塾は幼稚園である5才から大学受験までの13年間通っていた。

小学校受験中学校受験を経て中高一貫に進学し、周囲の大半が東大にいく環境自分もそのレールに乗り東大へ進学している。

ただ、お恥ずかしいことに、大学に入るまで自分が特段恵まれている人間だという認識は全くなかった。

しろ自分の家は両親が地方出身比較的貧しい家庭で生まれ育ち、親が借金などに追われながら生きてきたような人なので、周りの環境においては貧しい方に分類されてしまっていた。

小学校私立に通うような人はかなりお金持ちが多いので、別荘を皆持っている中で自分の家だけ別荘がない、などといったことで疎外感を感じて悩んでいたりもした。

今考えるととても異常なことなのだが、当時は本気で自分貧乏だと思っていた。

学生のうちはせいぜい狭いコミュニティに生きているので、周りと比較してしまう。

まれている者がその自覚を持つことは大変難しい。

はじめてこの格差問題に気づいたのは大学に入ってからだった。

クラスサークルに塾の友人や中高の同期がいて、新歓などでも最初挨拶では出身高校の話になる。

お互い名の通った中高一貫出身であることが多いので出身校の話をすれば大抵共通の友人の話などで盛り上がることができるので当然のようにその話をしていた。

ただ大学に入って仲良くなった人の中に全くしらない高校から入学してきている人がいた。

話をきくと地元には塾などが全くなく、強いて言えばくもんがあっただけ、模試も受けたことがないと言っていた。

正直自分にはそんな状況でどうやって東大合格できるのか理解ができなかった。むしろ自分学校の授業は当てにならないので全て寝て塾に全振りしていたくらいである。

彼は学問を愛していたし、とても頭がよかった。

地頭レベルが違うと感じた。

一方で、環境お金入学した自分がとても恥ずかしくなった。

勉強する環境が整っていて親から勉強しろ」と言われる毎日の中で、勉強が本当に嫌いで仕方なくやらされている感じで勉強をしてきた、東大に入っても学問にまったく興味を持てない自分を呪った。

心のそこから自分の代わりにこういった人に東大学問をしてほしいと願った。

東大国内にそれ以上の大学実質的にないと言っていいので、学内レベル差は最も大きいのではないかと思っている。

入学してすぐ、もっと学問好きな人地頭がいい人はたくさんいる、自分は最底辺であるということを悟った。

お金環境でなあなあで入学したのはいいが、自分は要領がいいだけでなにもすごくなかったのだと自覚せざるをえなかった。

格差を知り、自分立ち位置理解して以降、恵まれている側のコンプレックスのようなものが芽生えてしまい、外で初めて会う人などに「東大生なんだすごい!」と言われるのがとてもつらくなった。

ただ、東大に落ちている人がたくさんいる中で自分環境のおかげでここにいる、決して頭が良いわけではないと言っても嫌味にしかならないので、当たり障りのない謙遜をすることしかできない。

ただ、ここでは自分よりもっと東大学問をするべきだが、そのチャンスすら得ることができない人がたくさんいる事実を噛みしめたい。

最近では恵まれ環境に育ったからには努力を怠ってはいけない、社会還元しなければならない、という認識を持っているし、周りもその想いで似たような環境から激務の公務員などになろうとしている人や事業を起こしている人が多くいる。それが自分たちにできる精一杯だと思っている。

とりとめもなく書いてしまったので結論はないのだが、皆がチャンスをえられるような社会を目指して、微力ながら行動していきたい。

2020-10-18

anond:20201017180858

こういうのって不満を抱えていない人はなんにも書きたい事ないから書かないけど、一応こういう例もあるよってのを書いておく。

事前情報

私は男。結婚10年目くらい。子供は1人。

生活費

妻にクレジットカードを渡してて、生活必要ものはそれで買うように伝えてある。

仕事

共働きで私の方が年収は倍以上あり、完全在宅ワーク

保育園送迎

私が担当。いろんな準備は妻がしてくれてる。

習い事の送迎

平日の送迎は私が担当。土日は妻が送迎することが多い。

勉強

小学校受験を考えているけど、私が毎日問題を作って勉強をみてる。朝は私、夜は私か妻のどちらかが勉強見てる。

ご飯

以前夜ご飯は作ってくれてたけど、最近は妻が忙しいので弁当が多い。流石になーと思って時短料理始めてみようかと本屋で今さっき書籍を買ったところ。

洗濯

干すのが大変なので、幹太くんを買って時短してる。幹太くんは今まで買った家電の中で最高の買い物です。畳むのはだいたい妻がやってくれてる。

ゴミ出し

妻がやってくれてる。

掃除

以前文句を言われたので週一で業者にお願いしてお金解決

家庭の状況

子供可愛いし、今のところ円満にしてますよ。

2020-09-25

幼稚園児の頃、知らないおじさんに性器をくわえさせられた話

かなり昔の事なので現代と色々常識が違うかもしれない。



この話はネットで書いたこともなければ誰かに話した事もなかった。

そもそも被害にあった事すらなかったかの様に、というより本当に意識せずに生きてきたので、たまに思い出して苦しくなったりするものの、めちゃくちゃトラウマになっている、というわけでもなくて

うまく消化できないままどんな風にどんなスタンスで誰に話せばいいのか分からないまま大人になってしまった。


定期的に誰かに聞いてほしい気持ちが襲ってくるのでここに書く。


三歳か四歳の頃だった。

私は幼稚園が終わってから毎日習い事をしていてその日は多分ピアノの帰り道だったと思う。

私は早生まれな上に母子家庭で、だからこそ母親教育をしっかりしたい、そんな意識がとても強い人だった。

小学校受験の為にピアノお絵かき日本舞踊に塾…様々な習い事をしていた。

ちなみに電気が止まるのは恒例行事なくらいの貧乏だったので、母は色々と大変だっただろうと思う。


ピアノ教室は徒歩で行ける場所だったが、二駅ほど離れた塾にも一人で切符を買って電車で通っていたし、"豚バラお好み焼き用"なんていう複雑な買い物もよく任されていたくらいなので、一人で行動する事にはとても慣れた子供だった。


そのせいか母親やたまに会う祖母なんかに、口酸っぱく知らない人にはついていくなと教えられていて

母親が倒れたと言われた場合、親戚だと名乗られた場合、など複数パターンを想定して受け答えの練習をさせられていた。



なのに私はその日知らないおじさんについていってしまった。



ピアノ教室から住んでいたマンションまでは五分程の距離の一本道で、その日もいつも通り一人で帰っていた。

どうやってどこで声をかけられたのかは全く覚えていないしおじさんの顔すらもう覚えていない。スーツを着た太った人だった。

この事件に関しては覚えていない事が多すぎるけど幼稚園児の記憶なんてそんなものだと思う。


覚えているのは、私の住んでいるマンション屋上に連れて行かれた事。

体調が悪いので助けてほしいと話していた事。

性器から悪い何かを出せば楽になるから手伝ってほしいと頼まれた事。


それがいけない行為だという自覚すらなかったはずなので、きっと助けてあげないといけないと思ったのだろう。



祖父叔父はいたけれど、一緒に住んでいたわけではないので性器を見たのはその時が初めてだったのかもしれない。

もし私に父親がいたらいけない事だという自覚も少しはあったのかな?と今は思ったりする。


屋上でおじさんはチャックから出した性器を私に咥えさせながら色々と指示していた。

まり書きたくない。

何故か性器はずっとふにゃふにゃだった。

そして少ししてから精液を口の中に出した。

気持ち悪いものが口の中にあって早く吐き出したいと思ったのはとても覚えている。

多分その精液はティッシュに出した。



不思議もので、なんの知識もないはずなのに私はすごく嫌な気持ちでいたし

してはいけない事をされている、となんとなくその時に気付いてしまって、気持ち悪くて吐きそうでずっとソワソワしていた。

おじさんは、これで元気になったよ、と言っていた。

おじさんは私を脱がしたり触ったりは一切しなかった。

大人になってから、これは結構レアケースだったのでは?と思ったりもするけれど性犯罪者スタンダードなんてものは分からないし

遅くなれば母親おかしいと気付いてしま時間的制限もあったので、優先したのがその行為だっただけかもしれないし服の乱れなんかを気にしたのかもしれない。


エレベーターマンション屋上から自分の階へ降りた時、すごく不思議気持ちがしたのを覚えている。

ずっと住んでいたけど屋上へ行ったのも初めてだったし行ける事も知らなかったので、そのおじさんはきっと下調べしていたんだろう。

私がよく一人で帰っているのもきっと知っていたんだろう。もしかしたら母子家庭だって事も知っていたのかもしれない。


屋上から落とされたり殺されたりしなくて良かった。


エレベーターの中で「この事は誰にも言っては駄目だよ」と強く強く言われて、誰かに話したらとても悪い事が起きると言われた。

私は馬鹿正直にそれを守り母親にも誰にも話さなかった。母親に隠しごとをしている事実に強い罪悪感があって、その日はずっと落ち着かなかった。

バレませんようにってずっと思ってた。


しかしたら事件の影響で私も普段と変わった行動をとったりしていたのかもしれないけど、覚えていないので分からない。



当時の事を思い出した時に一番後悔するのは、ついていった事でも断らなかった事でもなくそれを母親に話さなかった事だ。

思い出すたびに何で話さなかったんだろう……と苦しくなって悲しくなる。

でも話していたら母親に一生消えないような負い目を感じさせる事になったわけで、この辺りの気持ちはうまく言葉にできない




その後はおじさんに会う事もなかった。



私は特に男性を怖がったりする事なく成長した。

小学校電車で通っていたので、もし痴漢にあったらこうしなさい、と色々指南されていたけど、六年間痴漢被害にあうことはなかった。

満員電車の中にはランドセルの幅を迷惑がる大人がいるだけで、よく蹴られたり押されたりしていたので低学年の頃は痴漢よりもそっちの方が恐ろしかった。



十代の頃は露出狂自転車自慰しながら併走してくる人間に会ったりはしたものの、直接触ったりしてくる性犯罪者には遭遇しなかった。

屋上で何をされたのか自覚できるようになったのがいつ頃だったのかは記憶にない。

ある日ふと思い出したような感覚だったと思う。


男性と付き合ってセックスもした。性嫌悪もなかった。

おじさんは私の生活にあまり影響を与えなかった。

被害が与える心の影響なんかを調べたりしたこともあったけれど、心の傷になったりしたわけではないか

被害にあった女性達に同調するのはとても失礼な気がして、名状しがたいモヤモヤした気持ちをずっと抱えていた。






でも思い出すとやっぱり嫌な気持ちになる。

気持ち悪くなるし、当時の自分が本当にかわいそうになる。

ずっと深くは考えないようにしていたせいか自分に起きた事という自覚があまりないのも良くない気がする。

からといって辛すぎる体験を脳が忘れようとしている現象だとか深層心理では傷付いているとか、そういうのもいまいちピンとこない。





最近いろんな主義主張を見るようになって極端な意見ほど目につきやすい世の中になったけれど、自分はいつもどちら側にもなれなくて性被害にあったはずなのに私っておかしいのかなと自問自答する事が増えた。

その時のことを思い出すことも増えた。




なのに生まれつきの小児性愛者(not犯罪者)ってかわいそうな人だな……と思う時もあるぐらいで、男はすべて最低な生き物!とも思えない。

ある程度男性に警戒心は持って生きてはいるけど、まともな男性にもたくさん会ってきたしな……と思ったりする。


でも頭のおかし男性がたくさんいるのも経験で知っているから、性犯罪ニュースを見ると心から死ねば良いのにと思う。子供事件なんかは特に苦しくなる。

性犯罪にあった女性揶揄する男性も消えてほしい。

そんな感じでどっちつかずの自分意見すらよく分からない人間になってしまった。

これは普通なのだろうか?





あの頃の事件自分人格形成に影響を及ぼしたとは思わないけど、いまだに言語化できない感情支配されるのは事実で、幼稚園児の頃の記憶なんて薄れていくばかりのはずなのにずっと覚えているし

年に二回くらい思い出してはしんどい気持ちになるので言葉にしたら何か変わるかなとダラダラ推敲もせずに書いてみたけど、誰かに何かを伝えたいわけでもなく正直何がしたかったのか自分でもよく分からない。




おわり

2020-09-14

anond:20200914010553

言われてみると確かにそうかもなーー、ごめんな

言い訳がましく他の前提条件書くと、

同大学卒の周りのカップルが「子ども中学受験、出来れば小学校受験させたい」って言ってるのを聞いて、彼もそう思ってる(出来ると思ってる)

・彼の生活基準はそこそこお金のある自分実家(パッパも同大学卒)

から、彼自身がしたい生活自体が「うちの大学を出た人の正規ルート」って感じなのよ

2020-05-25

競技プログラミングプログラミング技術とは何の関係もないという話

競技プログラミングは、プログラミング技術とは何の関係もないです。あれは、「巧いやり方があることが分かっている問題を、制限時間内に手際良く解けるか」を試しているに過ぎません。

受験競争の激しいアジア圏に固有の特徴なのでしょうか。そういった「問題解きの上手さ」を「賢さ」だとか「地頭の良さ」だと思う人が多く存在するようです。小学校受験中学校受験などが盛んなのも、その表れでしょう。

アルゴリズムを学びたいのであれば、アルゴリズムの本を読めば良い話です。たとえば、

  • Cormen-Leiserson-Rivest-Stein "Introduction to Algorithms"

は、世界的に有名な計算機科学教科書で、基本的アルゴリズムとその計算量等の性質を丁寧に解説しています

これは少し考えれば納得できるはずです。たとえば、社会人になって英語を再学習したいと思ったとき、わざわざ大学入試問題を解こうと思う人はいないでしょう。普通に英語圏で書かれた文章を読んだり、自分でも書いたりすればいいです。

2019-10-31

anond:20191031204911

そういうセレブ校って受験では学力より親の財力が判断されるもんだと思ってたけど。

つか幼稚園とか小学校受験ってそういうもんだよね。

本人じゃなくて親の職業面接の受け答えを見られてる。

中学以上なら庶民でも学力あれば入れる(合格させて貰える)場合もあるだろうけど

それなら他に同類いるだろうし、そういう人と幼稚園からエスカレーター組とは距離ありそうだし…

2019-10-29

anond:20191029132354

900万以下だとそもそも金銭的に小学校受験は無理じゃね?

ジジババが金出してくれる、とかなら別だけど

小学校公立にして中学受験、ですら900万だとキツいだろうに

創作臭いなあ

2019-10-09

日本同調圧力から子供を逃す方法

30代帰国子女

子供幼稚園入園し、小学校への入学を考え始めた時、日本小学校に入れるのが夜も眠れないぐらい不安になってきた。

小学校の途中でアメリカから帰ってきた私は、いじめにあうどころか、物珍しさかクラスリーダーグループに入れてもらい、長く海外で育った帰国子女としては珍しく非常にスムーズ日本適応できた方だと思う。その後、特に問題なく中学受験大学受験にも成功し、日本人としてきちんとこの年まで人生を送ることもできた。

それでも、日本小学校のことを思い出すと、不安になり、子供をどうしても通わせたくないと思い、インターナショナルスクールなどを検討し始めた私を、日本まれ日本育ちの夫は怪訝な顔で見ている。

そんな時ネットたまたま鴻上尚史さんの、帰国子女お嬢さんに対するアドバイスを読んで、首がふりきれるぐらい頷きたくなった。

https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html?page=1

そう、きっと私はこの同調圧力が怖いのだ。

みんなと一緒でなければいけないというプレッシャーに、子供ながらに悩み苦しみ、日本社会で生きていく中でそれなりに折り合いをつけてやってきたつもりであっても、まだまだそれが怖くて、子供をそういう環境に入れたくないのだ(そして私も親としてその環境に関わるのが嫌なのだ

子供大事にしている価値観趣味子供ながらに抱いている自分に対するプライドを潰してしまうかもしれない環境が迫ってきているのが不安不安で仕方ないのだ。

ただ、一番の問題は、子供日本小学校に行きたがっているということ…。英語小学校は嫌だと全面拒否をしている。

子供には英語習い事などをさせているが、親も先生英語が話せるのに自分けが話せないのが苛だたしいのか、私が英語を話すと激しく怒る。

母国語できちんと考える力を身につけるためにも、本当は日本環境においてあげたいのだが、日本語かつ同調圧力が低いという環境が全く見つからない。

私立国立小学校も調べてみたが、小学校受験に対応している小学校は近所の公立小学校より更に同調圧力が強そうで、完全にオプションから外した(そもそも小学校受検のために、親としてネイビーのワンピースを来て、小学校受検の塾に通わないといけないというのを想像するだけで辛い)

最終的に、子供の願いを叶えて日本小学校に入れてあげるべきなのか、インターナショナルスクールに無理矢理入れてあげるべきなのか、悩みは尽きない(インターナショナルスクール合格してからどちらに行かせるか悩めばいいという夫の実務的なアドバイスに従い、とりあえずひたすら願書を準備している)

2019-09-10

所謂お受験」、中学受験大学受験経験し、そこからさあ就活筆記試験だ!と身構えていると問題簡単すぎて拍子抜けする

かい掛け算なんかは面倒だが、それだけだ

大抵は中学受験レベル問題で、ちょっと物量が多いだけ

下手すると小学校受験で触ったような問題が出たりする(さすがに要求スピード幼稚園児より早いけど)

まだ学生とはいえ一応22年生きてきた。れっきとした成人だ

それなのに、小学生の知能レベルとして扱われている気がする。そこはかとない無力感




まあ、面接通らないと意味無いけどね。(この時期なのでお察し)

アスペ傾向なのかなあ……

2019-06-17

anond:20190616204742

息子の学力的には私立全然行けたんだけど

小学校受験必要なのは学力より経済力お受験に付き合えるだけの親のやる気なのに認識おかしい。

幼児お受験教育受けさせてなければそもそも学力なんか分からんし。

小4になって

中学絶対私立に行かせることに決めた。

とか呑気な事言ってるのもねえ。

中学受験するなら小4の春から塾入れなきゃ間に合わないのは常識

公立偏重私立中のレベルが低くて小4から受験勉強始めなくても間に合う地方在住、ってなら

小学校受験する子なんてほとんどいないから、尚更学力ではなく経済力問題になるし。

小学中学受験が高校大学受験と同じだと勘違いしてる子の書いた釣り

2019-03-31

田舎者貧乏人に罪悪感を持つ話

大阪で生まれた。

母は未婚だった。

母は、決して悪人ではなかったが、(おそらく)知的障害を持っていた。

主に私の世話をしてくれたのは近くに住む優しい叔母だった。年に一度ほど会う、父親から送られてくる相場より多額の養育費けが生活の頼りだった。

所謂貧困であったのだと、今ならわかるが、周りには似たような家庭ばかりだったので、これが普通だと当時は思っていた。

当時の私の世界は、いわゆる「低学歴の世界」だった。

隣に住んでいて、慕っていた年上のお兄ちゃんは、親につけられたという根性焼きの痕があった。

育児放棄されていて、給食が唯一の生命線だというクラスメイトがいた。

喧嘩沙汰で歯が折れ、治す金もいからとそのままにしている先輩がいた。

友達シンナー中毒おかしくなった。

叔母の娘は中学生妊娠した。

学級崩壊なんか当たり前だった。

酒にタバコシンナー暴行レイプ

どこを見ても貧しさと無教養で溢れていて、私はそれになんの違和感も抱かなかった。

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中学二年生の秋、母は交通事故で死んだ。

私は一ヶ月ほど叔母の家に厄介になった後、23区内に住む父親の家に引き取られた。

父親独身で、祖父代表社員だった監査法人に勤めていた。

そして、転入した地元公立中学に通い始め、カルチャーショックを受けた。

まず授業が普通に行われて、それをみんな普通に受けていた。

非行に走る生徒もいなかった。

虐待育児放棄なんてどこにも存在しない、理性的で正常な世界がそこにあった。

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父の勧めで、私は意味もわからないまま高校受験に備えた。

幸いにして、叔母が勉強を度々教えてくれていて、勉強自体は好きで、成績も良かった。

日々終電近くで帰ってくる父だが、休日なんかに勉強の面倒を見てもらうことがあった。

そして、父の母校である某有名私大付属校に合格し、私はさらなるカルチャーショックを受けた。

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その高校は、港区公立中学より、数段「高学歴の世界」の純度が高かった。

有名企業経営者役員政治家医師なんかの子供がずらり。

大多数のサラリーマンでも当然役職付きの大企業勤務。

小学校受験し、代々その学校に通っていたりする家柄の人もいた。

わたしの居た世界では、中学受験ですら初めて聞くようなことなのに、私立小学校受験する人がいる、ということを初めてここで知った。

文化的レベルも高く、趣味の絵がコンクールで大賞を取った人もいた。

海外旅行経験があるのは当たり前のこと。

人が人を何の躊躇もなく信頼できる世界

彼らは「低学歴の世界」を一生知らないまま生きていくんだと思う。

なんとなく違和感を感じながらも、私は必死に「高学歴の世界」に適応し、馴染んでいった。

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高校の成績は良く、医学部に内部進学できるほどだったが、公認会計士になりたかったので、商学部に進学した。

高学歴の世界」の純度は高いままだった。

彼らの大半は「田舎者貧乏人」を知らない。

知っていても自分がなったことなどないだろう。

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私は田舎者貧乏人に罪悪感を持つ。

私が本来居るべき場所はあの大阪の薄暗いアパートの一室、荒れた世界だと。

父に買い与えられたタワマンで、幸福暮らしを営むことは間違っていることだと。

私と「田舎者貧乏人」の何が違うのだろうか。少し運が良く、「高学歴の世界」に突っ込まれただけの私。

「当たり前」とはなんなのだろうか。世界の壁をダイナミックに移動させられてしまった私には分からない。

私はもっと不幸になるのが当然なのだ

私は、生まれ持った素晴らしい環境を当然のことだと享受できる気持ちがわからない。

私は田舎者貧乏人に、私が本来なるべきだった人たちに、罪悪感を持たなければならないのだ。

2019-03-28

田舎者貧乏人を初めて見た話


誰にも言えない偏見を、そっと書き残す。

東京に生まれた。

新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内からたことはなかった。

小学校受験をし、私立小学校卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家合格し、中高一貫女子校卒業した。

中高時代都心まで通学し、遊ぶところは新宿渋谷だった。

1年間浪人し、そのまま地方国立大学医学部に進んだ。

まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。

私は自分いか世間知らずだったかということを全く知らなかった。

まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。

「え?むしろ親、医者じゃないの?」

喉元まで出かかって飲み込んだ。

私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。

医者かー。いいなぁ、金持ちで。」

非常に面食らった。

まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。

なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化存在しなかったし、他人を「金持ちから羨む」という人に初めて出会った。

そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。

加えていうと中高一貫女子校ではバイト禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)

私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。

かかった学費のことを親は何も言わない。

医学部に受かってよかった。」

それだけである

またさらにびっくりしたのが、

どこかに遊びに行こう!となった時に

お金がないか予算の安い店で」

と言われたことだ。

お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。

遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)

遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化

そんな文化があることも知らなかった。

というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏から節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである

現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。

また、私は田舎というものをナメていたことも分かった。

田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。

友達と遊ぶ時はテレビ雑誌特集していた店に行き、大きくなってから食べログ評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れた伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセール爆買いしてみたり。

そう言った文化が何一つないのである

この田舎で、夜することは飲み会カラオケか男女の営みのみ。

店が存在しないか開いていないのだから仕方がない。

レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。

地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである

前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。

他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである

その男の子は、地元出身の子だった。

地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。

私は自分を賢いと心から思ったことがない。

小学校でも上から20番くらいだったし、

中高一貫では下から数えた方が早かった。

でも、地元の子は違うのだ。

小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ

何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ

でも私は知っている。

たかだか地方医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、

医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。

私たちちょっとだけ努力するのが上手だったかちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ




夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。

私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。

田舎は苦しい。常に誰かに見られている気がする。

学生外車に乗るなんてと言われたことがある。

うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ

「昨日、コンビニにいたね」

いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから

東京は、何をしてもいい。

何をしても、誰も何も言わない。

近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。

早く卒業したい。

早く東京に帰りたい。

まれ育った土地自分には一番合っているというだけなのに、田舎東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。

こんな人間医者になるなんて、と言われると思う。

からこっそり、ここに書く。

医者はいつでも人格者で、正しくないといけないから。

偏見なんてないですよ、という顔をしなくてはならないから。

からせめて、匿名世界でだけは。

2019-01-28

http://b.hatena.ne.jp/entry/bunshun.jp/articles/-/10547

こんなん野球に限った事でもなく、「子供トップレベルの事をさせようと思うなら多額の金と親の尽力が必須」ってだけじゃね。

ただの趣味・お遊びレベルなら親負担がない習い事的な野球教室もあるけど

プロ目指すならその程度じゃ無理で、親も子も他の人生全部犠牲にして野球に尽力するのが最低条件ってだけ。

そんなの他のスポーツも一緒だろ。フィギュアなんかもっと金かかるし皆親がかりで必死だし。音楽なんかも同じ。

勉強だって一緒で、幼稚園小学校受験は親の力が10割だし

中学校でもトップ受験するなら幼い頃から専業か精々パート母親につきっきりで勉強見て貰えて塾の送り迎えもして貰えるような子が有利で

共働きだと不利になるってのも常識だし。

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