はてなキーワード: 失いたくないからとは
親しい友人が、ディープステートをはじめとする陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
くり返しますが、あなたが心からこの国と未来を憂いて、善意と使命感から陰謀論を信じていることを非難するつもりはありません。
あなたはきっと世の中の不条理や無理解に対し、大変な憤りを感じているのでしょう。あなたが世の中の問題へ真摯に向き合った結果、周りへの影響を過小評価し、私との関係を犠牲にすることすら厭わない態度を取らせるに至らしめた陰謀論が憎いです。同時に、それをあなたへ広めた陰謀論者の人々もまた、心からの善意と使命感からそうしているのだということにやるせなさを感じます。
だれも悪くないのにどうしてこんなことになってしまうのか、言葉が見つかりません。ただただ悲しいです。
結局のところ、私が何を言おうと、あなた自身が気づかなければ私の言葉が響くことはないでしょう。あなたもきっと、私に対して同じように思っているのではないですか。私は体制側に洗脳されている、陰謀論とレッテルを貼ることで真実から目を背けている、結局は自分の力で気づくしかないと思っているのではないですか。
極端な思想を語ることのリスクはこれです。どんなに気が合うと思っていても、世界観、価値観の相違をあぶり出してしまう。関係の薄い相手であれば容易に分断を生み、親しい間柄にさえ話しても無駄という諦めが溝を生む。
自分は思想を押し付けたりしていないのに、私からは考えを押し付けてくるのは干渉しすぎだと思いますか。そうかもしれません。これが例えば宗教の話だとして、キリスト教や仏教なら何も言いません。でも、統一教会やオウムなら全力で止めますよね。陰謀論はそういう性質のものだからです。少なくとも無害ではない。これ以上深入りすれば、あなたは私の知っているあなたではなくなってしまうかもしれない。だから、行き過ぎを承知で言っています。同時に、陰謀論と言われても仕方ないと解っているのに、信じるのを止められないことへ無力感を覚えます。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。どうか、私のために頭を冷やしてほしい。
何処にも誰にも言えないからここで言う。日本国民として、人間として駄目な意見ってのは充分承知だ。
仕事先の障害(くそ重い)もった息子に鬱で生活保護認定された母。2人が毎月国から貰うお金は俺の月給をはるか上回る。母は息子をほぼ24時間我々に任せ、毎日TV見てゲームして散歩がてら買い物に行き、趣味の料理を楽しみ暮らしてる。
別れた元旦那とは未だに仲良くて、生活保護ゲットの為に別れたというのは我が社内でも暗黙の了解である。
車も必要があれば元旦那から借りてるし、たまに外食にもでかけてる。息子は寝たきりだから経管栄養のメシやオムツ等ほぼ全てがタダだ。なんならタンス預金は俺の貯蓄よりあるはずだ。
毎日若い介護職の男子が家にいて話し相手になっているし、寂しくも暇でもないんだろう。1人の時間が欲しければ外出すりゃいいだけだし。
そりゃ本人の気持ちは辛いと思うよ?でも働かず息子と2人暮らせて娯楽だって享受してる。正直うらやましい。
こんなケースは全国どこにでもすごい数あるんだぜ、、、そして仕事を失いたくないから我が社はせっせとワガママを聞き、母親にゴマを擦り続けるのだ。地獄!!!!
非人道的な事をいってるのはわかってます。。。ごめんなさいごめんなさい。障害でもボケでも高齢でも介護に関わる全ての皆様が心穏やかに過ごせますように。
女性の場合、それに続いて、「自由や気楽さを失いたくないから」「必要性を感じないから」「趣味や娯楽を楽しみたいから」でようやく「結婚後の生活資金が足りないから」がくる
男性の場合、は「出会いがないから」につづいて「結婚後の生活資金が足りないから」「結婚資金が足りないから」がきて「自由や気楽さを失いたくないから」「必要性を感じないから」がくる
社会的抑圧がなくなった、周りからお見合いを強制されなくなった
経済的に不自由だから結婚しないのではなく昔と比べて 経済的に自由になったから 結婚しなくて済むようになった
結婚するだけなら派手な披露宴もハネムーンも給料3か月分の指輪も必要なく、役所に紙一枚提出するだけなのに
「結婚資金が足りないから」が理由になるのは経済の問題ではなくメディアの洗脳の結果じゃないかな?
結婚とか関係なしに 二人の人間が一人で別々に生活するより、共働きで一緒に住んだ方が生活資金は楽になるのに
「結婚後の生活資金が足りないから」が理由になるのは 経済の問題ではなく専業主婦を前提とした意識のアップデートが足りないのでは?
ポイ活にそんなに躍起じゃない私なんだけど、
カードの貯まるポイントカードは家電量販店に移行しまくりまくりまくりすてぃーしつつなんだけど、
あれって移行すると2割目減りしちゃうのよね。
多分円高のせいよ。
そんでね、
ポインツがポインツのままで使えるポインツ交換サービスで
つまり
1ポイントが1円で使えちゃう目減りしない交換のサービスがあって発見したコロンブス的に、
8000ポインツが目減りして1000ポインツちょっと減っちゃうのはもったいないじゃない?
移行作業もワンタッチでオーケーだしポイントがポイントとしてそのまま使える目減りしないのは今はこの時期1ポイントでも無駄にしたくないしね。
そんで!
バーチャル的にクレジットカードが仮想的に発行された感じみたいで、
そのポインツ枠の中でクレジットカードとかアイディーとして使えて、
これまた時計にも組み込んで今使ってるアイディーともう一つポイントアプリのアイディーとで2つアイディーが入っちゃった状況で、
でもまあポインツの方はポインツ利用枠で金額目に見えて分かるので、
ポインツ貯めたり使ったりするのは、
移行して使うよりも汎用性が高くてアイディーが使えるところなら無敵よ!
もっと早くから気付けば良かったことに2割目減りしてしまった分は勉強代として仕方ないことにするわ。
ポインツアプリって掲示するのがお店に面倒くさいって使わなくなっちゃいがちだけど、
これなら、
普通にカード使ってるポイントが別カードにチャージできちゃう感じで、
ポイ活にもやる気が出てくるってワケなのよ。
どこかで喰らって消滅してしまってたくさんあって喜んでいたのに、
節子曰く
なんで期間限定ポインツは消えてしまうん?ってもはやそんな概念すら知らなかった頃の遠い昔の話しよ。
貯まらないポインツを貯めるより貯まるポインツの方がいいじゃないポインツ的に。
だから私のポインツ活動はそのポインツ1本でってことになりそうだわ。
でもその5000円分のポインツも海からのボーナス!って思えば無かったものだとして
鬼のようにコツコツ貯めているポインツも逆算したら
このお店でこんなに使ったのか!?って考えるとゾッとするけど、
考えないことにしているわ。
だけどそもそもとして、
買い物をしたつもりでポインツにチャージしたらポインツ王になれるのかしら?とも思うし
お金で直でポインツに変換していたら、
貯まった感じがしなくて
ちとチートな感じもするわよね。
1000円でも失いたくないからね貴重なポインツよ。
でもさあれポイント交換で減ってしまうポイントはどこに行ってしまうのかしらね?
ポイント交換手配する人の交換士の時給をそこでまかなっているのかしら?
横浜の豪華客船の差し入れで差し入れた崎陽軒のシウマイ弁当4000食が差し入れされず消えたぐらい不思議よね。
しかしまだあの4000食のシウマイ弁当が一瞬にして消えてしまうのは
これもう七不思議の一つの8番目の不思議にしてもいいぐらいよ。
あれ間違って搬入するときに海に落っことしたってワケじゃないわよね?まさか。
落っことしたら落っことしたですぐに分かりそうなものだけど、
にしても不思議よね。
もしかしたら、
ポイント交換人の昼食として豪華客船で作業していたそのお昼のお弁当だったのかしら?
そう考えても今のテックのロジーからして手作業でポインツ交換しているとなると逆にローテクだし、
実際のところは謎が謎を呼ぶわ。
ミステリーすぎるわ。
うふふ。
いやツンではいないけど、
美味しいからいいことに正解よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
歯科医療の話に話になると歯医者は大抵、定期的に歯科に通えって話ばっかりするね。
「虫歯は感染症、まず何よりも親が子供に移さない事が大事」とか言ってる歯医者、見た記憶がないもの
予防って本当はそもそも感染させない事が一番だとコロナの件でも身にしみてみんな分かっているだろうに
歯医者が乳児への感染防止を主張しているのって見た記憶がない。予防されてしまったら歯医者は商売あがったりだから、歯磨きや歯石取りのような本質的でない事ばっかり言うんだろうね。
そして仮に虫歯菌の感染を防げたとしても、そもそも先天的に歯が生えてこない人もいる訳で、誰もが歯を問題なく有している訳じゃないという前提が抜けているのもムカつく。
あと歯を失う原因として大きいのは歯根破折も相当な割合を占めているのにいつも無視されているよね。
結局さー、歯にとって何よりも必要なのは再生医療一択だと思うよ
そうすれば生まれつき歯がない人も、後天的に失った人も、みんな自分の歯で噛めるようになって助かるし
TERFってなんやと言う人のために軽く説明すると、トランス排除的ラディカルフェミニスト(英: Trans-exclusionary radical feminist)の略です。Twitterでは特にトランス女性を差別するフェミニストに使われる印象が強い。
不勉強な人間なので今から書くことには事実誤認が多いと思う。間違っていたら指摘してほしい。むしろ指摘されたくてこの増田を書いている節がある。
この単語をTwitterで知ったのはJKローリングの発言に対する批難からだった。フェミニズムを勉強しているフォロイー達がみんな怒っていた。そうだよね、自分の性自認でトイレ使いたいよね、分かる。でもさ……がある。
今回はその「でもさ」の話がしたい。
トランス女性への差別を指摘する人は往々にして、「TERFはトランス女性などおらず、女性のふりをした男性がいると主張する」と批判する。
私はトランス女性はいる。男性の身体であっても性自認が女性の人なんてなんぼでもいると認識している。その人達が女性トイレを使うこと自体には何一つ反対ではない。
「でもさ」それを肯定してしまうと、多分身体的にも性自認も男性で、女性への加害を目的として女性トイレを使う人が一定数出てくるはずだ。ただでさえ日本はそういう性犯罪が多く、軽視されがちなのに。
もし、こういう犯罪がちゃんと取り締まられていて犯人は不問に処されることなく逮捕される社会なら私は誰が女性トイレを使ってもいいと本気で思っている。でも、現状はそうじゃない。マイノリティへの配慮に土足で踏み込んできて荒らす奴が絶対に一定数いる。そしてそれが野放しになるのが怖い。私が恐れているのはトランス女性じゃなくて、その制度を悪用しようと考える性自認も身体も男性の存在だ。「そんな奴いないよ」とは言えない。性犯罪のニュースは巷に溢れているし、私自身も幼少期に何度も痴漢にあったり街中で突然「お金をあげるから」と性行為に誘われたこともあった。断ったらそれまでだったけど。それだけ性犯罪は女性の生活に隣り合わせの危険だ。
だから私はオールジェンダートイレはもっと増えて欲しいけど、現状、女性トイレは女性トイレとして存在していて欲しい。時間をかけてそんなものがなくなればいいとは思うけど、現状では。
これもTERFと言って責められるのかな、と思いTwitterでは発言できない。消極的な差別なのだろうと、自分でも思う。自分の安全の為に他者の安心を差し出しているわけだから。
あと、こういう時話題に上るのはトランス女性の話ばかりだけど、絶対に同程度のトランス男性もいるはずなのにその人達の話題は上ってこないのは何で何だろう。彼らだって女性トイレを強要されるのは苦痛のはずだろう。でも「男性トイレにもサニタリーボックスをおこう」という話は聞いたことがない。でも、本来ならそこも同じように働きかけるべき問題なのでは……とも思う。
ダラダラ書いてしまったけど、言いたいことは
○ただ、その性を悪意を持って利用してくる存在は一定数いてそこへの取り締まりが現状では不十分。その状態で「ウェルカム」という気にはなれない。オールジェンダートイレに関しては無条件で賛成
○トランス女性の話ばかり出てくるけど、トランス男性のトイレの問題もあるはずで、一方だけが声高に語られる現状は、やっぱり身体的な性差での差別が残っているからこその部分もあるんじゃないかと考えてしまう。それゆえの問題が軽視されているのではないか
全然箇条書きではなくなったまとめになってしまった。Twitterでこんなこと書けば間違いなく私はTERFとして非難されるだろう。分かっている。私は愛しているお友達を失いたくないからここでこうやって吐露する。私の中の差別を解消する言葉が欲しい。
https://togetter.com/li/1730312
法律問題ですら性教育で解決できると思ってるの脳内がフラワーパークすぎるし
なによりも、いってることが左派Verの親学だという自覚がないのやばすぎるだろ……
いやーこれはないでしょ。
現状維持を主張してる人より、教育改革を主張してる「親学」連中の方がいいってことになるね。
なるほど、あなたのようなバカが「今の問題ある状況を変えることはよいことだ。結果がどうなってもしらん」という形で性教育推進を主張してるわけね。
「教育」だったらおかしいとわかるのにこういう感じで「性教育」の話になると脳がバグる人、深刻なトラウマを抱えてそうでご愁傷様です。
結局「今の性教育はまとも!このまともな性教育をやれば問題は解決する!」って言ってるだけでやっぱり性教育うんぬんいってるやつは親学の左バージョンでしかないという仮説がより強くなったわ。
夫は絶え間なく浮気している。
私よりも一回り上の夫。
物腰の柔らかさと、それなりに整った容姿が好きで結婚した。夫は多分私がそれなりに若くて、モノを知らないところが良くて一緒になってくれたのかもしれない。
浮気が発覚したのは、たまたま外で出くわしたから。こんなにツメが甘い人だとは思わなかった。
問い詰めると(そんなのできなかった、やんわりとした話し合いになった)致し方ないことなど、ピカチュウは連れて歩きたいけどコダックはモンスターボールに入れておきたいなどと無茶苦茶な例えを出されて有耶無耶にされた。
開き直られたらどうでもよくなった。離婚すればよかったのだろうけど、生活環境の変化など、いかにデメリットが多いかを夫に説伏せられた。
もうなんか色々壊れたというか、自分がおかしくなっちゃって、というか情けなさというか
多分デートであろう日は、少しだけお小遣いを渡した。女の子の前で恥をかかせたくないから。安い店なんて連れてって欲しくないから。
加齢による体臭が気になってきたら、こっそり風呂の石鹸を渋柿に変えた。おじさんになって欲しくないから。
夫が帰ってこない日はご飯を簡素にできるし本とか読んで何も考えないようにしてる。
安い賃貸に住んでてよかった、私の収入で払える、夫婦の口座から払ってたけど、私の口座から引き落とされるようにした
浮いたお金で女の子に良いもの食べさせてプレゼントでもしてあげてね
若くなくなると捨てられるのは分かりきってた。でもあった頃の夫を失いたくないから、今の生活を続けている。
たまにうわーってなって泣きたくなる。
仕事頑張らなきゃ
その時々で綴ったので似た内容の重複もあります。
プレイ前に、ジョエルの死、嫌われてしまった新操作キャラの存在、ポリコレ的な要素の追加での世間からの批判、を知ってしまった上での感想。
ジョエルはもうキャラクターとして動かせない存在だったのかもしれない。
前作あれだけの出来事があったにも関わらず、また再び戦うジョエルを描かれてもどうかなとは ちょっと思う。
前作後のジョエルなら戦う動機は救出以外あり得ないだろうし、それなら前作のラストパートの焼き増しにしかならない。
その点、これだけの人間同士の戦争を描きながらも、徹底して人間と戦うジョエルの姿を見せなかったところは良かった。
ジョエルはもう人を殺せない。前作はそれくらいの覚悟がいるラストだったと思うし、だからこそ綺麗だった。
殺されるシーンでジョエルが抵抗する姿を描かなかったのも、その辺を意識してのことなのかな。
操作したかったしアッサリ殺されたのは勿論ショックだけど、ある意味で絶対的な存在にはなった。求めてはいない形だが。
製作陣は、ジョエルがキャラクターとして嫌われないようにすることにかなり気を使ってるように感じた。
ただそれと引き換えに、というか対として、死と他のキャラへの嫌悪感の仕組みが沢山組み込まれてたんだと思う。
それぞれのキャラの心情は、理解はできても納得はできないくらいのバランスで、変に短略的で生々しくヒステリック。
欠陥とかじゃなく、色々と考えられた故での本当に性格の悪い構造。
前作プレイヤーを不快にさせる要素、手段、手法、順序が、綿密にかつ分かりやすく詰め込まれてる。
超人気タイトルの前作主人公を、序盤からぽっと出のアビーに殺させてヘイトを爆稼ぎ。
その後もプレイヤーの復讐心を煽り続ける為に、徹底的なジョエル上げとアビー側下げがゲーム中随所に盛り込まれてる。
過去編ジョエルは常に悟った聖人の様な振る舞いだし、アビー側は結構感情的な人が多い上に現代人が多様化する故に難しくなる要素の塊。
そんなキャラ達を用いて復讐心を煽りエリーとシンクロさせた後に、最大限までヘイトが溜まった所でアビー側の立場に変えてもう一回同じ日々を繰り返す。
このアビーというキャラのメインの目的は、同情じゃなくてエリーがしたことの異常性の確認じゃないかな。敵側のキャラの心情の理解ってより、細かい生活を見せてる印象。
アビーの父親の掘り下げについても根源的なヘイトの対象をマーリーンから移されてるだけだから、アビーに同情させる気なんかさらさらなさそう。
アビーへの不快感は消えないように残しつつも、動機は理解させるくらいな感じ?
そこからアビー操作のままエリーとの戦闘をさせ、プレイヤー的には何が勝ちで何が負けなのか分からん状態で一旦旅は終了。
こんな胸糞悪い精神状態でも、せめてラストくらいは復讐のカタルシスを得られるかと思えばそんなことはなく、
色んなものを捨て、色んな感情や立場に挟まれながら、殺しもせずスカッと許しきったりもせずでアビーを逃して終了。
エリーとプレイヤーは、胸糞悪いモヤモヤを抱えたまま沢山のものを失って終わることになる。
多くのプレイヤーが救いとして求めていたであろう和やかな探検パートから、エリーが不信感を抱き決別するまでの様を描いて不安を煽って、
最後には互いに今まで隠してた覚悟や本音をぶつけ合って、二人のわだかまりの解消の糸口を匂わせる。
ただ同時に、寸前で終わってしまったそれが、序盤の大事件の直前でもあると気付くと本当に救いがない気持ちになる。
最後の最後で、序盤の死にダメージ上乗せするんだからタチが悪い。
全世界のプレイヤーが望んでいる展開を理解しているからこそできる構成。
不快感を高める為の道順が清々しい程完璧で、しっかりと悪意を持って確実にモヤモヤするよう作られたストーリー設計。
キチッと復讐したり、スカッと許したほうが幾分物語を作るのも簡単そうなのに、わざわざ遠回りしてモヤモヤさせてる。
誰の得も垣根もなくフラットに嫌悪感を味わえるし、誰もが怒って良い内容のゲーム。
ストーリーの好みでの批判は理解できるけど、フェミだのポリコレだのに屈したって批判は理解できなかった。
権利の主張とか政治的正しさとかみたいなことを、軽い気持ちの綺麗事で入れてはいないように感じた。
キャラの人種や思想の多さも、配慮とかそんなぬるいもんじゃなくて、
誰もが誰かにどこかしらで差別や嫌悪をする様な装置として入れているのかなって思う。
ジョエル以外のどのキャラにも嫌なところや異常なところがあった。
どんな人も認めよう!的なことじゃなく、むしろもっと嫌味ったらしいものに感じた。
世情を捉えてはいるけど、屈してはなくない?
まあもちろん色んな人物を盛り込んだのは、リアリティの追求って側面もあるだろうけど。
ちょっと脱線するかもけど、他のゲームでもゲームにそういうリアリティは要らないって批判あるけど、ラスアスに限ってはここまでのリアリティはあって良いと俺は思う。
内容自体は極めて真剣に悪意を持って綿密に練られてると思うから、欠陥とか中途半端って批判も違うと思った。
嫌なものを、嫌な手法で、嫌な順に、嫌なタイミングで的確にぶつけてくるから、ちゃんとムカつくし、ちゃんとモヤモヤするし、ちゃんと嫌いって主張したい内容。
ラスアスでやるなって意見もあるだろうけど、ラスアスでやらないとここまで出来ないことでもあるとも思ってしまう。
ある意味では完璧に徹底して作られてる様に感じたし、その上でマジで胸糞悪くて死ぬほど終わってる内容だと思った。
ビジュアルやゲーム性、音楽も含め総じてめちゃくちゃ丁寧に作られた作品だから、雑なレッテル貼りだけの批判で済ますのはもったいないと思う。
前作ラストのやりとりで、エリーはジョエルのした事について、具体的でなくてもなんとなくは察しがついているものだと思ってた。
今作過去パートで追っていく会話からは、思ったよりも何にも気づいていなかったんだなって印象。
エリーがどういう嘘と認識してたのかがわからなかったし、決別がやや強引だった気がする。
「誓うよ」「わかった」のやりとりの重みが少し薄れてしまったように感じる。
「君を失ったら、我を失ってしまうだろう」
復讐をするエリーはジョエルのことを考えていないし、助けに向かったジョエルはエリーのことを考えていない。
一生許せない(許しはしたかった)とジョエルに言ったエリーだけど、復讐寸前に自己矛盾に気付いた。
結局ジョエルを許せていないままの自分が同じことをしているのでは?と我に返り、アビーを殺しも許しも出来ずに逃してしまった。
ゴールド免許失いたくないから基本譲るし、かもしれない運転心がけてるのよ。
今回の大津のように青信号で直進しようとするのに右折で割り込もうとする車ってのはかなり頻繁にあるのよ。
今回の大津のような事故を危うくかけたってことも10年間乗ってきて3回ほどあるけど、そのたびに「危険予測していてよかったな」って思う。
でも、そういう時の右折車ってなぜかこっちを睨むのよね。
まるで俺が交通違反をしているかのような感じで。3回出会って3回ともそう。1回はクラクション鳴らされた。いやいや、鳴らすのはこっちだろう。
実際事故おこったら過失は君のほうが大きいわけだけど大丈夫か?って思いながら不快な気持ちが出てしまう。君の交通違反を正すため実際は事故にしたほうがよかったんじゃないかとも思ってしまう。
それでも俺はゴールド免許を失いたくないから、譲るし、かもしれない運転を心がける。ブルー免許の同乗者に「運転下手くそだね」っていわれながら。