はてなキーワード: 日本料理とは
http://anond.hatelabo.jp/20081106233020
への補稿(趣味編)です。あくまでの私が感じる世間の”空気”であり、私自身の嗜好ではないことに御留意ください。
これまで同様、「世間はそんな空気ではないだろう」というような御指摘があればお願いします。
イギリスは、ロンドンでランチに2000円出せるのならおいしいんだけどね。
西部の方は金だしても素材から死んでた。ジャガイモが不味いって何事・・・
海外の日本食は、日本人が作っていること少ない(中国人か韓国人が殆ど)影響か、ちゃんとした日本料理じゃないことが多い。
どんぶりは、オーストラリアで開いた店が盛況って記事を見たことがある。
オーストラリアだと、シーフードなのかな。あとはカンガルーの肉とか。
海外にある日本料理で、目の前の鉄板で肉などを焼いてくれる店をわりとみることが多い。日本にもそういう店はあるけれど、日本料理としては認識されていない。
むしろカップラーメンやインスタントラーメンが、一番普及している日本食なのかも。
調味料としては、味の素も日本発。醤油もわりとポピュラーかな。ソイソースよりもキッコーマンと呼ばれたりもしてる。
素材としては豆腐あたりかな。
日本人が日本で一流の料理人になろうとしたら、どの国の料理を目指そうが
包丁の使い方や出しの取り方から学ぶだろ?一から始める。
しかし日本以外の国で一流の料理人になろうとしても、その人の得意なことを軸に教育するんじゃね?
そりゃ権威を纏ったレストランなんかは買い手市場なんで違うだろうけど。
どういうことかというと、日本の厨房には序列があって、ずぶの素人だろうが経験豊富であろうが、
「うちに入ったらうちのやり方に従ってもらう」であって(ヘッドハンティングでも現場の連中は)、
日本以外では
「お前、何ができる?」という問いかけから配置されるだろ?
日本料理ってのは、そういう料理人育成の過程も含まれている文化だと思う。
だから日本人バックパッカーでも料理なんてからっきし出来ないのに口八丁で外国のレストランに潜り込んで働いて、いつの間にか一人前の料理人になってるなんて状況が出てくる。
上っ面だけの出来不出来ではない、基本があるんだって知っているからだと思う。
世界的な金融危機の荒波をかぶって、ポーランド経済がふたたび窒息死直前にある。
ブームだった不動産投資が裏目にでて、市場が頓挫したのは、各国共通だが、ポーランドの相違点は、なぜか多くが、スイス・フラン建てで住宅ローンを組んでいるために、為替相場の変動で、二重の苦しみなのである。
もともと異様な投資境遇にあった。
ソ連崩壊後、いち早く投資が集中したのはポーランドで、米国にはブレジンスキーなどポーランド系の移民が多く、またカソリック教会のネットワークもあった。
筆者が最初にポーランドへ行ったのは90年だった。ワルシャワ駅前の(昔の)一流ホテルに宿泊、ジャガイモのサラダがいっぱいのったステーキが「一万ズローチ」と言われ、目を白黒させた。
すごいインフレだった。
ポーランド通貨は「ズローチ」。当時、一ドルが一万ズローチだった。ハイヤー(ベンツ)を雇ってグダンスク(グダニスク)を日帰り往復。高速道路をぶっ飛ばした。朝九時にでて、ワルシャワへ戻ったのは午後九時ごろ。途中、高速道路にドライブインが一軒しかなかった。
ハイヤーが往復わずか百ドルだった。グダニスクが「連帯」発祥の地、議長のワレサは、そのご、ポーランド大統領になった。
それから二年ほどして、再訪したら、はやくも証券会社が乱立し、株式市場が盛況を極めていた。
このときはワルシャワのホテルに一週間ほどいて、ヤルゼルスキー元大統領に会見したり、南のクラコウにも足を伸ばした。
ポーランド政府の招待で共同通信、日経、産経の記者と同じ政府系のボロ・ホテルが宿舎だった(招待と言ってもポーランド政府が出してくれたのは、このホテル代だけ)。近くの豪華ホテルには朝日、読売の記者もいた。
外国との合弁アパレル工場を見学し、社長とあったり、忙しかった。その時のルポは『財界』に連載し、なにかの単行本に収録した。
王宮跡の広場にあった有名なレストランへ行くと、素晴らしい鹿肉料理、音楽隊の伴奏もあった(余談だが、そのとき一週間隣室だったのが当時の産経ボン特派員の前田徹氏。その後かれはワシントン支局長から上海へ飛んで、先日まで上海からの特電を産経に書いていましたっけ。上海時代には二回あった)。
閑話休題。ワルシャワにはショパンの記念館もあり、昔の栄華の面影が甦った感覚があった。
駅前にはマリオット・ホテルの偉容が輝き、発展は約束されていた。駅裏にはホリディ・イン・ホテルもできていて、なんと日本経済新聞がデュッセルドルフから空輸されて読めた。
実際にポーランドは急激に発展したのだ。
西側から奢侈品が入り、ドイツや日本のクルマが疾駆し、レストランは満員。人々はスイスフランに投機を始める。
▲ドイツマルクにもユーロにも見放され? スイス通貨に依存した
ポーランドはドイツを憎み、ロシアを憎むが、それゆえにスイスが投資の的になるのか、或いはポーランド人というのは、もともとがギャンブル好きなのか。
スキームはこうだ。住宅ローンをスイスフランで借りると、金利が低い。
それを進めるファインス会社がたくさん出来た。またポーランドの輸出が好調だったので、通貨ズローチが切り上げになったことも大きな理由だった。
住宅ローンの60-70%がポーランドではスイスフラン建てである(ワシントンポスト、3月15日付け)。
欧米の銀行が機能しなくなって、突然ポーランド通貨ズローチが崩落、対スイスフランで半値、いや半値以下となる。
ズローチ建てに換算すると「天文学的な借金」が目の前に現出した。
つまり、日本で喩えると3000万円のマンションが、6000万円にいきなり化けたことになる。値上がりではない。債務が膨張するのだ。同様にフラン建てで不動産を借りている企業もオフィスレンタル急騰に悲鳴を挙げる。
同時期、ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアなどの通貨も暴落を始めた。
他方、EU加盟を認められて以来、ポーランドからおよそ百万人がイギリスなどへ出稼ぎにでた。
レスゼク・ザルニッキという不動産王がいた。銀行も経営していた。いや、両方とも倒産の危機には至っていないが、このレスゼクが、スイスフラン建て不動産ビジネスとファイナンスをポーランド全土に広めてビリオネアになった張本人である。
「スイスフラン建てビジネスは失敗だった。しかしもっと悪いのは格付け機関と外国銀行だ。外国銀行は投資家に向かって東欧から資金を引き揚げろとアドバイスしているし、格付け機関はどんどんと投資不的確マークを東欧企業に打っているではないか」。
お昼の一万円コースを頼んだ。このご時世でもさすが、予約困難な店のことはあり、満席。二回転している席もあった。
女将はお約束の小太りの女狐といった風情が、決して上品ではないが、客商売の長さで培った接客術はなかなかのもの。転んでもタダでは起きぬという図々しさが見え隠れする客を値踏みする目は、高級飲食店であればあるほど如実だ。彼らが頭を下げる人種ではない自分は、いつもながらその慇懃無礼さに感心してしまう。そうでなければやっていけぬとはいえ水商売とは因果なものだと意地悪く思う。おそらく女将も、かつては花もはじらう乙女であったかもしれないが。
料理は仔細に手の込んだものだった。日本料理はやはり水が肝となるのがよくわかる京都らしい薄味。絶妙な火の通り具合の貝類、包丁目も美しい鮎魚女の骨切りのお椀、彫刻のような筍。全9品が、京焼きの器によく映える。
料理は、まあ一万でも不満はない。
ただ残念なことに着物姿のお運びの女性の所作が全く美しくない。お敷きに器をおく動作ひとつとっても、音を立てる。下げるときも音を立てて器を重ねる。
一礼して下げるのは良いがそこには慇懃無礼さもなく、無愛想。気持ちよく食事が出来るというには及第点も与えられない。
たった今店を後にした、おそらく一見の観光客と思われる人々を俎上に、おもしろおかしく語って聞かせる。
「一番最初から居て、ようやっと帰りはった。」
「次々出てくるけど、食べるスピードが追いつかなくて横に並べてあった。」
などと、困ったようにわらう。それを聞く常連客も「美味しいもんは、出来たてのうちに食べたいから、この店に来たら無言になって食べてしまうわ。」などと返す。また、その場にいない常連客の噂話もする。
これはカウンターでの会話だ。
一番奥にお座敷があり、カウンターとの間にはテーブル席があるが、そのテーブル席の通路を隔ててお手洗いのドアがある。
つまり、そのトイレのドアの前の席に案内された客は、他の客がトイレのドアを開け閉めするすぐ旁らで大層な会席料理を食すのだ。
もしも、まっとうな良心のある店主ならば、儲けではなく、そのスペースには花器などを置き季節の花を生けるだろう。
利潤を追求することを責めているのではないが、高い金を出して味わいたいのは料理だけではないはずだ。その店の気配り、たたずまい、それらを堪能したくて、たまの会席だからと張り込んだりするのだ。
自分の身の丈に合った生活というものは大切なことだが、たまの贅沢を楽しむにも庶民は庶民らしく厠の横で飯を食えという店の傲りをまざまざと見せつけられたようで気分が悪かった。
自分は食後、お手洗いに立ってはじめて、その席で食事している人々を見て驚いたのだが、トイレのドアを開けるのが気まずかった。
全てがそうだとは勿論言わないが、京都人が底意地悪いのはやっぱり間違いないなと思う。
海外でね、「日本で普通に食べられるクオリティー」の飯を提供するレストランって希有なのさ。
だからベルリンのカント通りにある「へのへの」っちう牛丼屋はこっちに暮らす日本人にとっては心のオアシス。
すでに他の人がブログに書いてるけれど、「普通に旨い」のよここの牛丼は。それがどれだけ有り難い事か!
http://berlinhbf.exblog.jp/8344361/
http://diary.jp.aol.com/ky5quyzaedzk/219.html
こっちで良く見かける妙にコジャレたきしょい「アジアンオリエンタルエキゾチックワンダフルダイニングエクスペリエンス」でも、
「米と魚を海苔に巻きゃSUSHIなんだろ」なんていうインチキ日本料理でもない。普通に食える日本食。
HENO HENO
Kantstr. 65
10627 Berlin
下から目線全開の韓国人が、日本人を貶しているような事と、同一に見えてしまう。
ツライ目にあった韓国の人の事を理解してあげられるのは、非モテや非リア充の人達かもしれない。
モテ/リア充の連中の為にどれだけ苦労したか解ってる人達じゃないと、韓国人の苦しみは理解できないかもしれない。
モテ/リア充である限り、非モテや非リア充の考えてる事なんてわからんからなあ。何をそう悩む事があるのかすら解らない。
これって残酷なのかね。
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-431.html
しかし実際に見かける「恨」は、そんな悲壮なものでも切実なものでもありません。むしろもっと低俗で卑近で幼稚なものの方が多いと思います。
例えば、「入りたかった大学や会社に入れなかった」「買おうと思った物が(品切れや予算オーバーで)買えなかった」「日本料理屋でキムチをオーダーしたら断られた」「全財産をはたいて宝くじを買ったが、期待した当籖金が当たらなかった」などに起因するものが、よく見聞きする「恨」です。
朝鮮人は、「自分の望みは常に十全に満たされるべき」と考えています。その十全に満たされるべき望みが実現されなかった時、「恨」が発生するようです。
単なる不満と違うのは、不満を不当と考えている点でしょうか。不当な現実を押し付けられことに対する悲しさや憤りを心の底に蓄積させ、発酵させたものが「恨」になるのでしょう。
要するに「恨」とは、「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と考えれば、だいたい間違っていないのではないかと思います。
ちなみに、「日本人が世界中から嫌われ孤立し、孤独に耐え兼ねた日本人が韓国人に土下座して友誼をこいねがう」というのも彼らの切なる望みですが、それが叶えられないこともやはり彼らの「恨」になっています。
しかし、自らが抱いた願望を貪欲に追求したいのであれば、自らの生活や技術の改善も積極的且つ貪欲に行われるべきだと思います。しかし、なぜか朝鮮人が生活や技術の改善を積極的に行っているという話を聞きません。そのかわり、改善の過程をすっ飛ばして結果だけを貪欲に追求する余り、日本で行われていることを片っ端からパクリまくるという話は鬱陶しいほど聞こえてきますが。
http://d.hatena.ne.jp/SAGISAWA/20051127
259 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/11/26(土) 04:31:47
≫258
俺も見てなかったがとりあえず。
202 ('A`) sage New! 2005/11/26(土) 04:12:06 0
「男には四つの階層にわかれてるんですよ・・・イケメン、フツメン、ブサメン、キモメン」
「女性が相手にしてくれないから、負け組男が二次元キャラの萌えに走るんですよ」
「女性がアッシー・メッシー的価値観のまま高望みしている間にも、
「私が間違ってたら銃殺刑でいいですよ!」
260 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/11/26(土) 06:17:59
これをどうやって救うのか・・・」
http://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/50533529.html
スヌーピーは何で犬なんかやってるのか訊かれてこう答えてる。
「配られたカードで勝負するしかないのさ」
韓国人のそれは駄々っ子の不当要求。非モテのそれは酒の場での飲み話。
もっと言えば、自分が犬である事を自覚した上でクダを巻いているのが非モテで、自分が犬である事を不当であるとして他者攻撃に走るのが韓国人。
そもそも前提条件が違う。
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=103512&pg=20071108
の件。
緑茶を食事中に飲むと、食事に含まれている鉄分が、吸収しにくくなります。
ほうじ茶なら、食事中に飲んでもいいです。
http://anond.hatelabo.jp/20071015133735
仮に外国のテレビ局が「日本料理」の特集番組として、「サムライがカタナを持ってゲイシャと一緒にハラキリダンスをしながらフグを食べて死ぬ」なんて内容の番組を作って、あたかも「これが典型的な日本食」だと大真面目に紹介されたら、「だってサムライもゲイシャもフグも本当にある日本文化だから良いじゃん」なんて反応する日本人は、きっといないと思う。もちろんジョーク番組として作ったのなら一緒に笑うだろうけど、「これが事実です」みたいに扱われたら大抵の日本人は怒るか、呆れるか、だわさ。(※これは飽くまでもフィクションです。)
日本のテレビ局のオタク特集ってのも、似たように「フジヤマ、ゲイシャ」的なというか、おもしろおかしいステレオタイプな部分だけ切り取って興味本位な紹介をする事が多くて、それがギャグとして一度や二度ならともかく、大半がそうだとしたら、不快に思う人も出てきて当たり前だってこった。