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2008-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20080702161620

少なくとも俺は心の中でヤマダ電機不買運動をやっている。

新橋キムラヤから店替えしたLABIや、アキバの旧サトームセンでは買い物をしない。

2008-06-13

官僚ヤバイ

ヤバイ。官僚ヤバイ。まじでヤバイよ。マジヤバイ。

官僚ヤバイ。

まず叩かれる。もう叩かれるなんてもんじゃない。超叩かれる。

叩かれるとかいっても

「『これはひどい』とかブクマつけられるくらい?」

とか、もう、そういうレベルじゃない。

何しろマスコミが叩く。スゲェ!報道の権利とかを超越してる。闇雲だし超叩く。叩かれまくり。深夜残業してタクシーに乗ったらビールサービスでくれた、それだけで袋叩き。

確かにサービスっていったけど、タクシーに乗っている以上それは税金なわけで、ビール税金の私的流用なのかもしれない。

でもじゃあ、そもそもタクシーに乗せんなよと。残業代も出ないんだから早く帰らせろと。

霞が関ってのはな、新橋のすぐ近くなんだよ。

久々に早く帰れるなと思った夜十時、駅で酔っぱらいサラリーマンが解散しているわけですよ。得意げな顔して何が、おつかれさまでしたー、だ。

俺はもっと疲れてるんだよ。

残業対策で省内に仮眠施設を設けようとか、もう見てらんない。

だってIT企業デスマーチ対策にマッサージチェアとか泣くっしょ。根本の原因はそうじゃないだろと問いつめたい。

おまけに市民まで叩く。ブロガーも叩きまくり。通報システムゼロ億円で作ったとかで浮かれまくりゼロ億円で誰が責任持って運用するのかと。お前ら、官僚仕事奪ったつもりになりたいだけちゃんかと。

そのわりに超国家依存体質。教育問題でも外交問題でも金融問題でも保険問題でも聞こえてくるのは「国がなんとかしろ」。あれこれ民間移管しようとすると怒る。でも選挙超いかない。ブログで吠えるだけ。

あと官僚はなんつっても超給料安い。受験勉強を必死で戦い抜いて、東大出なのに薄給外資金融の同級生の十分の一。ヤバイ。

だから人材流出。日本は全然平気じゃない。叩かれるからって優秀な官僚コンサルとかに転身して、また官僚主義を叩く。元官僚による官僚叩き本とか出まくり。お前らそれ読んで溜飲下げまくり根本問題は無視されまくり

とにかく貴様ら、官僚のヤバさをもっと知るべきだと思います。

もし今の日本という国を評価するなら、その何パーセント官僚のおかげじゃないのかと鑑みるべきだと思います。

そんな官僚世界で頑張っている仲間とか超偉い。超がんばれ。

http://d.hatena.ne.jp/core/20080612/1213291350

2007-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20071106210520

そんなことを言っていると、若さのもったいなさを知る頃になってから、取り返しのつかないことをしていたと思い知るのだよ。

それは決して取り返せないのだよ。

大事な大事な花の種。

 咲かして散らすが勿体ないと、

  蒔かずにおれば種のまま、

   そのまま朽ちてゆくのだよ。

…なんだこりゃ。新橋のオヤジか俺は。

2007-08-20

東京駅からでてくるサラリーマンがことあるごとに放送されるけど

あてつけか?

台東区のしがないビルで働いている俺への当てつけか?

丸の内新橋で働いてる超勝ち組をみせつけたいのか?

2007-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20070817114706

調べてみたよー。

新木場 始発05:40 ⇒ 国際展示場 05:44

大崎 始発 05:40 ⇒ 国際展示場 05:53

新橋 始発 05:30 ⇒ 国際展示場正門前 05:52

豊洲 始発 05:32 ⇒ 国際展示場正門前 05:40

…どう考えても4時半以後の来場だから、問題があるとは思えない。

結論:

始発組は「自分たちはルール違反をしていない」という立ち位置から、徹夜組を「ルール違反だ」と叩いている。

anond:20070817112951さん、始発組の思考回路が分かりましたか?

2007-01-21

オタクの地域格差

ここは今の日本の、地方の都市の中なのよ

これからお話すお話は、そんなオタクのお話よ。

ここにA君という人間がいるとします

某H県の県庁所在地に住んでいるオタク青年です。

漫画

A君は某ややマイナーな月刊誌の読者です。

H県は中央の発売日より1日遅れるのですが、今月は発売日が日曜日に重なったため、更に1日遅れます。

やっとのことで買った彼は、いつもどおり2chを見るのですが

1日でもかなりのものなのに、2日経った今、既に今月号の話題は書きつくされてしまっていました。

彼は仕方がないと思いつつも、同じ時間を共有できないことに少し寂しさを覚えるのでした。

アニメ

番組改変期となると、雑誌ブログが新アニメの話題で盛り上がります。

しかしA君はどこか冷めていました、元々アニメに興味が薄いのもありましたが

テレビ東京系局が無く、殆どが見られない上、放映もひどいと半年遅れるのが原因でした。

上で書いた雑誌に連載されている漫画アニメ化されましたが

熱心な信者である彼がそれを見たのは、半年たってDVDが発売されてからでした。

最近では、真剣にケーブルテレビ等の導入を考えているようですが

他の人間がタダで見ているものを金払って見ることに、未だ抵抗があるようです。

コミケ

待ちに待ったコミケの日を前日に控えたA君。

仕事を終わらせ、家に帰り、食事をし、着替えてネット喫茶へ向かいます。

深夜バス仕事やってる間に行ってしまいました。

新幹線の始発も、家の最寄り駅の始発より早く出るので、油断は禁物です。

家からタクシーで駅へ向かうより、ネット喫茶夜明かししたほうが安いのでそうしています。

新幹線は早得割なるものを利用して往復3万円程度、決して軽くはありません。

4時間ほど揺られて東京に着くのが10時、既に開場時間です、彼は会場へ急ぎます。

全てが終わり、彼はあらかじめ取っておいた新橋ビジネスホテルへ向かいます。

高いのですが、もうさほど若くない彼に、連続ネット喫茶はキツイのです。

かつては青春18きっぷで十数時間かけて来ていたなんて、自分でも信じられない程衰えていました。

1回のコミケ参加に、同人誌代以外に5万円以上を費やします。

コミケでしか手に入れられない本やゲームと、会場が持つ独特な雰囲気の値段は決して安くはありません。

関東オタクと、それ以外のオタクは対等たりえない

こんな比較的恵まれたH県ですら、年間10万円以上の金を使ってもなお差が埋まらないのです。

山一つ超えた県や、離島なんてどうなってしまうのだろう、A君は時々考えるのです。

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

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