はてなキーワード: 感嘆符とは
怒ってる人に対して,「元気だね」「若いね」「微笑ましいね」「元気そうだね」というような言葉を用いてコメントする事で,
私は余裕ですが何か,という態度をアピールするのってどういう心理から来てるのか気になる.
余裕をアピールするって事は,余裕なのはいい事,という意識がある訳で.
そもそも余裕ある奴が勝ちみたいなのって不思議,動揺しない事は美徳なのか.
同じ事言ってても冷静にコメントした方が強そうに見えるのってどういうカラクリなのか.
あと,「○○だね!」「○○だよ!」「○○かな!」みたいな感じで,かならず感嘆符をつけて,余裕を持って受け流し,諭すようにコメントする人もいる.
これは何か,2chとかによくいる,煽り合いにおいて何故か変な語尾になるコテとかに似てる気がする.
余裕ぶってるっぽい奴が本心では動揺してるかどうかは知らないけど,余裕ぶってる奴って見てるとだいたい余裕ぶってるの分かる感じある.
>誰宛かもわからないようなエントリに答える必要も無いと思ったのだが、一応。
まず、「文意が判らない」と書きながら「増田の本来の姿は匿名教えてgooなの?」と、自分の意見を書く文につなぐべきではない。と言うかつながってない。
まず、「文意がよくわからない」として部分否定する増田を、全否定だと早合点して曲解している。
「文意が分からない」「文意がまったく分からない」ならそう読む余地はあろうが、
「よく分からない」でここまで鬼の首を取ったようにあげつらうのは、疑問がある。
部分否定した上で、自分なりの理解を記述したとしか読めない。
続く文章に
文意を読み取ろうとしたけどよく判らなかった
という、同じ「よく分からなかった」というくだりがあるあたりが自己矛盾でしかない。
代案を提案しているのに、自分がついさっきしたのと同じイチャモン付けられるねこれ。
これこそ忌むべき揚げ足取りではないか。揚げ足取りどころか、ただの勇み足になっているのがなんとも。
で、更に言うと増田のあるべき姿など、だれも述べてない。
文意がよく分からなかったという彼自身はあるべき姿なんて論じていない。
見えない敵と戦ってる好例。
そもそも、
・当然ながら食いつく側が極端に減っている。(自分もかなりげんなりした)
・増田ねこが居ない!
という記述、特に括弧書(と感嘆符)からは、「(書き手にとって)以前より悪くなっている」という印象を受ける。
趣旨を「こんな雰囲気になっている」にとどめるなら、このような主観は入れるべきではないが、どうか。
「以前より悪い」という印象に対応して、
「じゃあその以前ってのはどんなだったんだよ?」という疑問が出てくるのは、
誤読だと言われればそうかも知れないが、そう読んでしまうのにも無理もない。
もしもこの文章に反論があるとしても、少なくとも私にそう誤読されるあなたの文章には問題があると思いますよ。