はてなキーワード: こじつけとは
http://anond.hatelabo.jp/20080316070931
一番やってはいけない最悪の戦略だからそれ。
今回、単純所持規制が通る可能性は高いよ。絵画規制には批判も多いけど、単純所持規制のほうは、普通に定着してるところも多いしね。もちろん弊害への対策は訴えるべきだが、それは改善を求めているのであって反対していることにはならないだろう。
実写児童ポルノ規制それ自体に反対しているのでない限りは、あまり強硬に無理すぎる論理でこじつけみたいな反対論を構成すべきじゃない。
>メール開けば即、単純所持罪行き。
これは実際危惧される問題なので、「収拾目的に限る」というような限定をつけるべきだろうとは思う。
>郵便配達人も全て一時的にせよ、単純所持したことになる
んなわけねーだろが。ありえないことを針小棒大に騒いでると、狼少年になるぞ。
>バッシング覚悟で言ってみる。「そもそも最近の二次元は過激になりすぎたから、規制を受けてもおかしくないかも」
一点も譲る必要がないところでなぜ譲る。工作員か?
「ひぐらしのなく頃に」がニンテンドーDSで「ひぐらしのなく頃に絆」として発売されるのをご存知だろうか。
第一巻・祟(たたり)
2008年6月26日発売予定 通常版3390円 限定版価格未定
鬼隠し(おにかくし)編
綿流し(わたながし)編
祟殺し(たたりごろし)編
染伝し(そめうつし)編(※新シナリオ)
第二巻・想(そう)
発売日未定
暇潰し(ひまつぶし)編
目明し(めあかし)編
???(※新シナリオ)
???(※新シナリオ)
第三巻・螺(らせん)
発売日未定
罪滅し(つみほろぼし)編
皆殺し(みなごろし)編
???(※新シナリオ)
???(※新シナリオ)
第四巻・絆(きずな)
発売日未定
祭囃し(まつりばやし)編
澪尽し(みおつくし)編
???(※新シナリオ)
???(※新シナリオ)
CEROについては、PS2版のについてはD(17歳以上対象・ただし購入の規制はない)であるので、おそらくNDSでもDであると思う。ちなみにNDSでこれまでに発売されたゲームではZ(18歳以上・18歳未満の方への販売の禁止)というものはない。Dでは3本である。
問題点として、2つの面である。
1つはどれだけ儲ける気だということだ。
もうひとつはDSのいう幅広い年齢の層がいるプラットフォームに乗せて発売しても大丈夫ですかってことです。
発売を肯定するのであれば、前者については、ユーザーはその姿勢が気に入らなければ買わなければいいということですから大して問題はないと考えます。後者については、PS2で発売されているし、携帯アプリも出ている。さらに小説、マンガやアニメも公開されており、既に多くの人にとって作品に触れることが可能なものが多数あるのでDSで出してもさほど問題にならないということです。
反対意見としては、アニメが殺人事件の影響を受けて放送が延期されたり、中止になったように、マスコミなどがなにか犯罪が起こると無理やりこじつけようとする姿勢がありそれにより作品への誤解が生じるということです。この作品に限らず少なからずこういった影響を受けて直接的でなくとも間接的に影響を受けるということはあるとは思いますが、度を超えての報道はうんざりです。
ひぐらしのDSでの発売は、個人的にはもう十分に儲けていらっしゃるのでもう出さなくていいじゃないかと思います。
あとどう考えても小学生には悪影響があるのでホイホイ出しちゃっていいのかなと思います。小学生でひぐらしをやって友情は大切だとか言い出すやつが出てくるとは思えないな。この発売でプラスになることが何も思いつかない。メーカーが儲かること以外は。新シナリオについてもどの程度期待すればいいのやら。
そもそも男女間の関係を深刻かつ神聖なものと考えすぎてんじゃないの?出会いがあれば必ず別れがあるんだから(演歌みたいだけどね)、男と別れたぐらいでいちいち病気になってたら長生きできないよ。もっと気を楽にもちたまい。
問題はそこじゃないだろ
実際問題、ここで二股かけた上別れたら下手したら死ぬほど傷つく人間が少数派だと無視できないほどいるということが問題だ。そういった人間が多数いる以上そうなる可能性を無視できない。個人的な恋愛観は色々あるだろうからお前のそれもその一つとしてそれ自体にはなんら問題はないが、「そうされると傷つく」という相手に対し「自分の恋愛観からするとこれくらいでは傷つく方がおかしい」と自分の価値観を基準にし、その価値観に合わないお前が悪い、こっちの価値観に変えろ(=この場合の「もっと気を楽に持て」というのは一見するとそれ単体ではいい言葉のように見えるため気付き難いが、実は単にそういう傲慢な事だ)ということであり非常に傲慢である。その上、他人の感じた苦しみ等の感情や他人の価値観を全く無視し、なかったものとしている。他人の自尊心をずたずたにしているわけである。
自分でもはっきりと気がついていない奴が多いが、「そのくらいなんてことないだろ、大袈裟すぎ。きにすんな」と自分の価値観であっさりと切り捨ててしまう人は、他人の存在を踏みにじり、自分こそが価値観の中心であってしかるべきであり、他人もそれに従うべきだという恐ろしい思考を持っているということに他ならない。これを「おおげさだ」と笑うかい?笑って、自身の残酷さ、醜さから目を背けるかい?いや、そんなことが最初からできる人間なら、中途半端に「気を楽にもちたまい」などと言って自身を「ちょっといい人そう」に見せようという気はないのだ。もっと単純に残酷に書く。そうしないのは、それをすると罪悪感が流石に残ってしまうからであり、同時にそれは実は自分のそういう醜さにうっすら気がついているということを意味している。だからこそそれを隠すためにちゃらけた言い方にしてみせ、自身の醜さを隠す。隠しつつそれでも傷つけることは止めない。傷つけることすら真正面から出来ぬ卑怯な人間。こうした人間は最早救いようがない。自分をも誤魔化し他人をも誤魔化し何もかもをごまかし続ける。そもそも「他人の傷つくかもしれない価値観を認めつつ傷つける」ということができず、中途半端に「そういう価値観じゃなくなればいい」とするあたりからして、自分の醜さや傷つきだけでなく、他人の傷つきをもみたくない、なかったことにしたいのである。要するに実は大変弱い人物なのだ。怖いのだ。傷つくということが。この種の人間は。この種の人間は、強姦事件などがあったときに大抵必死に被害者の落ち度を探し、「こんなところにいたんなら仕方ないよ」といったりする。それは何故か。安心したいからである。なんとか理由を見つけ、「理不尽な恐怖」は無かったのだ、ということにしたいのである。自分、あるいは自分の大事な人はそんなことしないから大丈夫だ、という安心にもっていきたいのだ。その余りの恐怖への恐怖、恐怖を受け止めることすらできないほどのその恐れっぷりが、捻じ曲がってこういった「他人の傷ついたというその原因の価値観自体をなかったものにする」「被害者になんとかかんとか理由をこじつけ理不尽さをなかったことにする」という方向へ走ってしまうのだ。
彼らは怖いのである。恐怖や、傷を、見据える事ができない。他人の不幸でさえも。
だったらそういう悲しいことがおきないようにしよう!とはいかない。なぜなら「そういう悲しいことがおきないようにする」ために何か考える道中では、どうしても「そういう悲しい事」を考えざるを得ないからである。「そういう悲しい事」が起きているという事実を認めざるを得ないからである。彼らは、「それすら怖い」。だから、見ないのだ。なかったことにするのだ。傷ついてる方が、実は、「間違ってる」ことにするのだ。ただひたすらに。
今も「傷ついて死にそうになった」という増田の嘆きを、この増田はそのまま受け止められなかった。「そんな嘆きは無いんだ、嘘だ、そんな嘆きをする方が大袈裟でおかしい。そんな方が普通じゃない」そうやって「間違ってるもの」として処理しようとした。それは、その増田の苦しみをそのまま「確かに存在したもの」として受け止めると、間接的に「自身がそんな増田を苦しめるような提案をしてしまった」ことに少なからず苦しんでしまうからである。それが怖いのだ。その責任にどうしても耐えられない。苦しみを直視できない彼らはそうやって、自己も他人もすべて誤魔化していく。彼らはひたすらに怖いのだ。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080202-OYT1T00729.htm
http://www.asahi.com/paper/editorial20080202.html
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/74044.html
(1)
ホテルは宿泊客を満足させることが最大の使命。騒音を垂れ流すやつらが周りを取り囲んだりしたら商売あがったりだ。だから今回の判断は妥当。そいつらが右翼かどうかってことはまったく本質的ではない。
これを集会の自由だとか表現の自由と結びつけるのは完全にこじつけ。論点の誘導も甚だしい。だいたいこういう自由を保障する主体として想定されてるのは私企業なの? 国家でしょ?
本当に集会開きたかったら公の施設を使えばいいし、私企業でも金積めばやらせてくれるところはいくらでもあるはずだし、なんなら河原や原っぱでやればいい。
(2)
司法判断に従うべきなんて主張は誰にでもできる。そんな陳腐な論理を展開するなんて仮にも一流を自負する新聞の社説として恥ずかしいと思わないのか?そもそも法律や司法の判断だって相対的なもの。それらが間違ってることだってあるし、今回の場合、ホテルにとっては法に従うことよりもその使命を全うすることの方が重かったんだ。こんな思考停止したやつらが論客気どってんじゃないよ。
とりあえずこの辺を。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Perl#.E5.90.8D.E7.A7.B0
なんでpealじゃないかといえば
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?kind=ej&MT=peal
になって、ピールになるし、別の意味になるからでしょう。
あと、「Practical Extraction and Report Language」ってこじつけも悪くない。
こじつければどうとでも言える。
こういうところから出てくる論というのはたいていが「どういうことにしたいか」が先にある気がする。
その「白い目で見る」事って、一言で言えば「圧力」だな。「自由に対する圧力」。
場合によっては「脅迫」に近い事もあるかもしれない。
事までも「甘受しなければならない自由」のうちに入るとは私は絶対思わない。
#「夏の葬列」見てると、上に挙げたような事例は全然珍しく思えなくなってくる……
つーか、「恋人がいない事を白い目で見る」自由が許されるなら、「被差別部落の連中だからという理由だけで、在日朝鮮人だからという理由だけで、障害者だからという理由だけで、白い目で見る」自由だって許されることにならないか? それは許しちゃいけない事。
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20071114/1195059155
体感年齢の式を
f(t) = log(kt+1)
と定義する。kは係数とする。
寿命をTとすると、
f(0) = log(1) = 0
f(T) = log(kT+1)
f(T)=T となるようにkを定めておく。logの底をaとすると、
kT+1=a^T
k=(a^T-1)/T
f(τ) = f(T)/2
log(kτ+1) = T/2
kτ+1 = a^(T/2)
τ = (a^(T/2)-1) / k
τ = (a^(T/2)-1) / (a^T-1) * T
a = 10, T = 1としてみると、
τ = 0.240253073
よって、人生を24%使ったところが人生の折り返し地点となる。
人生80年とすると、19.2歳。
もちろん、「日本人にいじめられてる韓国人がいる」事から「獨島は韓国領土!」とか「従軍慰安婦に謝罪と賠償を」とかの結論にむりやりこじつけようとする連中出たら
そんな露骨なのウヨのベタな離反工作じゃんってか無理
つうかその周囲のオトナについて語ってるのにどうやってその子をダシにできるのかと。
「人は自らを否定すべき文句で以って他人を罵る」って本当の事なんだなあ。
ブーメラン乙。そんなに図星でしたか?
http://anond.hatelabo.jp/20071106092450
ニコニコで韓国の女の子をかばってた連中の動機の背後に政治的意図があったとするのは勘ぐり過ぎ。
不良日本人にからまれてる外国人がいたら、かばってやるのが日本人でしょうが。
もちろん、「日本人にいじめられてる韓国人がいる」事から「日本人は差別民族」とか「獨島は韓国領土!」とか「従軍慰安婦に謝罪と賠償を」とかの結論にむりやりこじつけようとする連中が出たら全速力で叩くけど、そういう連中はまだ出てないしな。
「韓国の女の子をダシにして政治的に利用している連中」って、ひょっとして君の事なんじゃないかねえ。
「人は自らを否定すべき文句で以って他人を罵る」って本当の事なんだなあ。
捨てられない(モノも情報も)
口癖が「とりあえず」
思い切りがよくない
一度気になると超神経質
俺の嫌な面の性格がこれらなんだけど
よく考えるとこれに共通するのは「失敗を恐れる」気持ちなのかなーとおもた。
捨てられないのは、後で「ああやっぱり捨てなきゃよかった」と失敗するのを恐れるからだし
「とりあえず」とかいってなんでもとっとくのは「ああ、とりあえずとっておくくらい簡単に出来たんだから、あれをとっておけばよかった、今必要になったのに」と失敗するおんを恐れるからだし
思い切りがよくないのも何かを選んでそれで失敗するのが恐いからだし
超神経質になるのも何かを見落として、重大な損失が出たら、失敗してしまったらというのが恐いからだし
オールオアナッシング、完璧主義的なのも、完璧にしておいて初めて安心できるというか、多分8割くらいの力でやると、「なにか大事なものが抜けていないか」という失敗を恐れるからだ。完璧に実行している分には安心できているけど、それは完璧に実行しているからこそ安心できているってことだから、逆にそれが一度壊れると失敗の可能性が出てきてしまうことになり、「もうだめだ」とオールオアナッシング的になる。
全て失敗を恐れる事に集約できるような気がする。無理矢理なこじつけの気もする。ああこうして安全ネットを張るのもそういえば俺の特徴だ。
はっきりいって失敗を恐れる余りに結局失敗してるという愚かなパターンに陥りやすいのが俺だ。
石橋を叩きまくったあげくやっぱ結局渡らないみたいなことをしたかと思えば、もろそうなつり橋を躊躇なく走って渡ろうとして途中で川に落ちてしまったりするようなのが俺だ。
神経質ってだけならいい。ずっとそれを一貫しているならまだいいのだ。「慎重」とかそういう利点も出てくるから。
ところが俺はそうじゃない。それよりずっとタチが悪い。
一体全体どうしてこんなタチの悪い性格になってしまったんだろうか?
小さい頃から、失敗らしい失敗をしないままここまで来てしまったからか?幼児の万能感が薄れてくる頃に、たいした挫折もなく、学校でもそれなりになんでも出来たが故に、失敗するのが恐くなった?いやまてそもそも、小さい頃から俺は、変に大人ぶって、人生をわかったふりして、失敗しそうなものには乗らなかった。サッカーは嫌いじゃなかったけど俺がサッカーを頑張ったところでプロの選手にはなれるはずもないのだから、とそうしたものを小学生の頃から早々に諦めていた。あの時点で既に、本気で頑張って、それでも負けたりする、という経験、そういう「失敗」が恐かったのか?だから避けたのか?小学生の時点でそうだとすると俺は一体どうしてこんな性格になったんだ。
分からない。ただ原因は分からずとも対処はしなくてはならないのだが。
最近思うんだけど人権至上主義のいまの世界で人権が重荷になるときがこないのかな
例えば最近mixi関連でネット私刑が流行ってるみたいだけど、そうゆう人たちは人権なんか考えてないよね。
責任を取る必要もないし、匿名で自分の人権を無視している姿を人にみられる心配もないから、行くところまでいってしまう。
こうゆうのを見てると本来人間は人権を認めてないんじゃないかなって思う。
少なくとも人権を与えなくてもしょうがない人間の存在を認めているんじゃないのかな…?
ものすごく胸糞悪くなるような事件が起こると2chではみんな犯人をボコボコに叩く。死刑を高らかに謳う。
でもTVとか公の場では人権がどうのこうの言って、人権団体が犯人を全力で擁護する。
遺族の気持ちなんか完全無視で、水戸黄門の印籠のように「人権」という言葉をふりかざす。
たぶん「人権」にこじつければなんでも通ると思ってるんだろうね。その通りなんだけど!
憲法違反になるんだけど、僕は人権が認められない人間がいても良いと思う
最初から人権を認めないのではなく、人権を持って生まれる権利は平等に確保する。
しかし、人権を永久に保有する権利は認めなくてもいいんじゃないのかな?
社会の中で生きていかないといけない責任とか、他の人の人権を侵害しない責任とか。
責任をとるってことを「人が受けた痛みを自分もうけること」だとすると、人権を侵害した人たちに人権を認める必要はないと思う。
ひどい事件を起こした犯人は遺族に虐殺されてもしょうがないし、政府の実験台にされてもしょうがないんじゃないのかな?
自分から人権を放棄したんだから
人権ってものは人の持っている能力ではなくて、社会が人に与える権利なんだから、社会で求められる責任が全うできない人間に人権の所有を認める必要はないとおもうんだけどな…
でもこうゆうことは社会ではタブーとされていてこんな発言をするだけで「何を言ってるのあなた!!それ以上ものを言うのはやめなさい!!」って感じで何の答えもかえってこないまま、香水臭いヒステリックなおばさんに注意されたりする
でも、人間がつくった考え方なんだから絶対に完璧であるとはかぎらないのでどこかに綻びがあると思うんだよね
完全性とはあらゆる可能性を含むわけで、あらゆる可能性を含むということはその事象が固定されていてはいけない。もっと総体的で流動的なものでないといけないって村上春樹が言ってたと思うけど、人権に関してもそうだよね。
人権が人間本来の完璧な概念だとするのなら、もっと流動的な柔軟性を持たせた姿勢で考えないといけないと思うんだ
ああ、知らないのね。
知らない事は決して悪い訳じゃないから、ここで突っかからないでね。
知らない事が悪いんじゃなくて、そういう背景無しにたらいまわしばかり報道するマスコミがまずいってだけの話をしたい。
他の人がレスしてくれたように、別の原因はこじつけとしか思えない状態で医者が負けた。
その辺りからちょっと難しいお産になると病院が引き受けを嫌がるようになって、本当に困ってる。
そういった現場の話を知ってる身として今回の報道を聞くと、こんな緊急の妊婦さんを医者生命が絶たれる危険を冒して引き受けたがる医者なんて簡単に見つかるわけ無いし、
それを知ってる救急隊員も極限状態で、破水から10分後に事故起こしたらしいと書いてあったので、今度は自分すら訴えられかねない、本当に運転なんかしちゃ駄目な精神状態だったのが想像できる。
さて、誰が悪いんだろうね……