はてなキーワード: ういとは
WEP:なぜか接続できない
WPA:接続可能
という感じだった。
DSがWEPだからWEPにあわせたかったのに、普段はWPAにしておき、DSを使う時はWEPに変えるという運用に。
まぁいいや。
ところでロジテックの無線LANアダプタ(LAN-W150N/U2DS)、ゲーム機用って書いてあったけど普通に使える。
けっこういいものだ。
ご自身の発言が影響をもたらすことを十二分にご存知な方々が、リアクションを求め日記を書いたりつぶやいたりします。
勝手なことなんだけれどもご自身の発言自体がどれほどの力をお持ちかということをご存じない方が多い。
本のことが好きでいても興ざめするわけです。こんな中二病こじらせたみたいな幼い屑な人間が書いたものかと思うとうんざりしちゃう。興ざめ。
ご本人はコメント等で「センセーよくぞいってくれた!」的な応援団コメントもらってご満悦だろうけれども。
で、たぶんこうやって「興ざめ」とかいっちゃうファンをぶった切るわけです。そんな人に読んでもらおうとは思わないとかさ。
そういうコメントもうんざりしちゃう。最終的には応援団に向けてのみ本を書いたりしていくのでしょう。
でもさ、それって先細り見えてるよな。
それだけじゃなくてさ、ただはてなで日記書いてるからってそれらの名前だして自分の本とか宣伝しちゃうのもうわーって思っちゃう。いろんな意味で乞食。そこまでして売れたいかっていう。
いいものは売れるじゃん。いや、宣伝が大事っていう人いるけど宣伝あんまりしてなくて隠れた名品的なものなんてああこの程度か的なものしかないじゃん。
どうでもいい人がそういうことしてたらなんとも思わないんだけどあああの人まで本の宣伝とか乞食だなーって思ってがっかりしたって話。
中高と男子校育ち。
同性とまったく同じに接するわけじゃないけど、恋愛感情は全くなく面白いヤツだと思ってた。
だから、そいつに彼氏ができてからも、同じように接してたんだけど
周りが「彼氏に悪いからあんま仲良くするな」みたいなことを言ってくる。
そういうもんなの?
彼氏できるたら疎遠にならなきゃいけないなんて寂しいから
友達は同性だけでいいや、と思ってしまった…。
男友達が友人を誘った時、おごって当たり前、なんてことにならないのは当然。
まぁ、おごるよという奴はわりといるが。
女性を誘うとそういうことになるのはやっぱりちょっと不思議というか。
その男性が男友達みたいな関係を望んでいたとしたらどうなのか。
つか、おごったとして、別に好きでもない男との恋愛はありえるのか?
その31だか32だかの男が実際に単なるダメ男だったという可能性も結構あるしな。
そりゃそうだろ。元増田的には「女性に慣れてない」+「誘っておいて女に金を払わせる」でダメもダメ男だろ。それは確定事項。
そこじゃなくて、元増田の「自分はわがままなのか?常識はどうなのか?みんなはどう思うのか?」という問いが問題なんでしょう。
「男がダメ男かもしれない」というのは、なんの関係もない。ダメ男だから元増田がわがままでいいとはならないし、ダメ男だから常識はずれの行動してもいいともならないし、ダメ男だから男よりも元増田に共感するともならない。
ぶっちゃけて言えば、元増田が鼻につくところは、文章から「30男は女慣れしてない、みっともないダメ男だから、仮に私が常識はずれな行動をとっていたとしても別に構わないよね。」という差別意識とか上から目線みたいなものがプンプン匂ってきてしまうところ。
いい女というか、よい人というのは決して差別意識や上から目線を持たない、持ったとしても自分を戒める、持ってしまっても相手の所為にして自己弁護しない。そういう意味では、元増田が自己弁護的にこんな文章を晒したことは非常識ではないにしろ、下品だと言える。
ただ、一部の腐女子がそういうのを「少年漫画だ」「女向けだけって訳じゃない」って言い張っている現実はある。
何故混ぜた。
CLAMP作品は「CLAMP作品の中」でジャンル分けできるだけで
みんなヲタ向けだろ。
男性向け作品の中には少女漫画誌に載ってもおかしくないような作品もあるけど、
そういう作品は「少女漫画のレベルに達してない」と言いたいんだよね?
つまり、自分の中には「少女漫画」の基準があり、この基準を満たさないかぎり、いくら少女漫画らしくてもそれは「真の少女漫画」ではない、と。
一人(CLAMPは一人じゃないが)で網羅するような人はほとんどいないわけだから、そういう人は特殊例と考えるのが普通だと思うよ。
挙げてる少女漫画が萌え要素によって男オタに人気のあるようなものしかないよね。
でも普通の男向け漫画に女性作家はいるけど女向け漫画に男性作家がいない理由はそういうことだよ。
あと女向けのエロマンガ書いてる男性作家もまずいないんじゃないかな。普通の女向け漫画の脳中心さをさらに煮詰めたようなもんでしょ。
男向けのエロマンガは「ストーリー中心」を「エロ中心」に置き換えただけで、脳が不要という点は変わってない。
女向けのやつってセックス本体はどうでもよくて、それにまつわる感情で興奮してる感じだよね。そうじゃないのも多少はあるだろうけど。
その頃と今は違うでしょ。
今の状況で実際にこういう事件が起こってるんだから、そこは別として考えるべき。
理想論だとしても、それに向けて動かなきゃ状況はもっと悪化するよ。
それとも、「あの程度で死を選ぶ奴は所詮...」とでも思ってるの?
「アレはち○こがついててマ○コが付いてない女」ってのは何処で聞いた言葉だったか.
既婚と言ってなかったら、独身てことになってたぞ。
言ってなかったんじゃなくて、わざと言わなかったんだろ。こういうことを期待して。
まだ体の関係がないなら、ちゃんと離婚するまで手を出すな。月末に離婚するんだろ。それまで待て。そうすれば嘘が嘘じゃなくなる。もし手を出したら、お前はその純粋な子を「不倫女」にしてしまった最低男になるぞ。
もう手をつけたんだったら、死ぬまで自分の愚かさを呪ってろ。
私は現在、心療内科通院中です。通い始めてからだいたい3年くらいかかってなんとか上向いてきました。
通院するようになってから、うつ病に関する新書や文庫など、手に入りやすい本を何冊か読みました。
そのうち、個人的にいい内容だなと思ったものを挙げます。
素人の感想なので、異論反論多々あると思いますが、何かのお役に立てれば幸いです。
マンガ。続編の『その後のツレがうつになりまして。』ともに文庫化(幻冬舎文庫)されています。
「休養」環境を整備するために家族にはある程度病気を理解してもらった方がよいと思います。
発病したての頃、家族がうつ病についてよくわかっていないようだったので、家族向けに買いました。
最近文庫になった『こんなツレでゴメンナサイ。』は(単行本は文藝春秋。文庫は文春文庫)、ツレさんの立場から、内面を詳しく書いています。
こちらを読んで共感したのは、自責感や体のつらさ、治りかけの時に「性格が悪くなる」というあたりです。
うつ病、心の病気には未知の部分があります。たとえば、薬は存在するのですが、「なぜ効くのかわかっていない」らしいです。
だから私はできるだけ新しく、また上手に整理された内容の本を求めていました。
この本は(おそらく現時点で)最新の見解を載せています。医師によりいろいろな立場があるので、一概に「最高」とはおすすめしませんが、
発病原因(内因性・心因性)と症状(精神症状が強いか身体症状が強いか、また重傷度)から治療方針を考えている実例が参考になります。
薬についても整理されていてわかりやすいとおもいます。また、「偽うつ」などと断じられやすい「新型(非定型)うつ病」も
治療と本人の精神的な成長で改善するであろうという見解も、ただ「困った若者」として排除する立場よりは理性的だと思いました。
友人知人にならば、最初に読む1冊として勧めるだろうと思います。
薬に対する反応性がいまいちで、何種類も薬を変えてきているので気になって読みました。
抗うつ薬は「中程度までの」患者にはあまり効果がないという研究があるようです(インターネットで検索してみてください)。
また、製薬会社のSSRIのPRの時期とうつ病患者数が増加した時期が一致する点は、気になってしまうところです。
ですが、医者や薬を悪者にしようとしているかのような煽りタイトルはちょっと誤解を招くように思います。
この本は「薬だけでは」治らない、と主張しているように思います。「患者化」つまり、患者であることにあぐらをかき、
周りの手助けをあたりまえと思う思考を戒めています。
治ろうという意志がなくては治らない、という思いを深めた1冊でした。
私は来春から就職しますが、まだ寛解していない病気とつきあっていくのには不安があります。
この本は「産業医」の立場から、働きながら病気を治す、病気を治して働く、
そもそも仕事のストレスが高じて病気にならないようにするには、ということを書いた本です。
社会人の方には、病気であろうとなかろうと、使われる立場でも使う立場でも、読んで欲しいと思いました。
「管理職へのアドバイス」という部分が、患者でない人向けです。
薬に対する反応がイマイチのため、医師に「認知行動療法」をしてみることを勧められました。その良書がこれとのことです。
分厚い翻訳書で高いです。それと、後半の難しい部分は読むのが辛いです。
一応読みましたが、アメリカーンな感じ(前向きに生きてればハッピー、信仰は持ってるよね当然)がするので、なんとなく馴染めませんでした。
認知行動療法は、医師に出される宿題をやって、採点(みたいなことを)してもらって、自分の考えのクセを自覚していくもののようですが、
そんな手間をかけられるほど時間のある医師が日本にはたぶんほとんどいません。臨床心理士も数が少ないと思います。
自力でこの本のワークシートをやってもいいのでしょうが、まるで『絶対内定』みたいな分厚さなので断念しました。
『いやな気分よさようなら』に挫折して、レイアウト優先で(とっつきやすさで)これを求めました。
ほんとうに自分でできる構成になっていると感じます。
ワークシートは1枚ずつしか印刷されていないので、コピーをとらなければいけませんが、見やすくわかりやすく、
どのシートをどういう順番にやればいいのか絞り込まれているのでよいと思います。
私は残念ながら本書を買った後に下向きの波が来てしまい、ワークシートは書かずに読むだけでした。
上記に挙げた以外にも、トンデモだなあと思う本や、スピリチュアルが入っている本、
わかりやすさを求めるあまり表面的な内容になっている本、内容が古くあまり役に立たない本など、
10冊以上は読んでいると思います。中でも、私が腑に落ちた本を挙げました。
いま、改善しつつあるのは医師や薬のおかげばかりでなく、これらの情報に接して考え方が変わったからだと思います。
自分ばかりがなぜという思い、どうして長引くのかという不安は、知識を得ることによってある程度軽減されます。
また、私が「治ることに前向きになった」と感じたのは、卒業年限となり、苦しいながらも就職活動をやり終えた頃からでした。
就職活動で、他人に伝わる言葉で表現せねばならなかったこと(今までは自分の気持ちを、ニュアンス優先の自分語彙で表していました)、
仕事をするという目標ができたことが前向きに作用したのだと思います。
私はあきらめずに進みます。
同病の皆様、そのご家族の皆様、患者の方と同じ会社で働く皆様。
発病自体は過ぎたこととして、これからを歩んで参りましょう。
死ぬってどういうことかってのを分からせるにはいいような気がしなくもない。
それとも
それとも
社会主義系やリベラルでも9条護憲を主張する保守派もいれば、国粋主義な主張しつつ政府批判したり現憲法を替えて核を持ていう革新派もいる。ネトウヨとかサヨクって、いったいどのへんのことを言ってるの?
「本当の数学では同じだが、ここではこういうものだとしておこう」
などと理解できる小学生はいないだろう。
そのgdgd感がニコ動ぽいと思うんだが。後半で博報堂が入っていることに文句を言ってるけど、「きっちりすること」に文句つけたいのか、「きっちりしてないこと」に文句をつけたいのかはっきりさせた方がいいよ。
普通は後半の優勝決まる頃の方が人が増えるんじゃないの? 時間が進むに連れて抜けてく人は出てくるだろうけど、それ以上に新たに途中参加して来る人の方が多いと思うけど。
その後に、松尾貴史が「こんなにも下ネタが拒絶されるとは思いませんでしたね。ネットも高尚な感じになって来たんですかね」と言った内容のことを言っていた。
これはニコ動の公式見解とかじゃなくて、松尾貴史の所感でしょ。
ニコ動は開始当初から、バナーとかアフィリとかニコ割とかやりまくりですが。
他の人も書いてるけど、ニコ動ってもともとただの箱でしょ。
件のお笑い放送だって、主催がニコ動ってだけで、別にそれがニコ動が提供するコンテンツの全てではない。プロの手による放送もあればgdgdな素人放送もある。それこそがニコ動の姿そのものじゃないのかな? ひとつの番組だけ取り上げて「だからニコ動は潰れる」とか言うのはちょっと違うと思う。素人放送にまでそういう規制の手が伸びてきたら、さすがにもうだめだ、って思うだろうけどね。
高校以上なら、「x=i,-i」が答え。
高校以上で、「解はない」と書けば間違いになる。
では、中学ではどうか?
中学までなら、「解はない」が答え。
中学で「x=i,-i」と書いた場合、それは間違いになるのか?
とすれば、振り返って「解はない」を正解にして良いのだろうか?
中学では虚数を習っていないから「解はない」を正解とするのが良いだろう。
それは、数学的に正しいかどうかではなく、「教育的配慮」であろう。
すなわち「中学の数学」という特殊な数学の上で正しいのである。
「中学の数学」の中で虚数は定義されていないから、「x=i,-i」は間違いになってしまう。
それはちょうど高校の数学でロピタルの定理を使ってはいけないのと同じである。
では、次に「x=i,-i」と書いてきた解答を×にして良いかという問題がある。
間違いかどうかと×にして良いか、それを子どもが理解できるかどうかは別問題だからである。
たとえば、「ロピタルの定理を使ってはいけない」と高校生に言えば、理解できるだろう。
だからこれは議論にすらならない。
では中学で「虚数を使ってはいけない」と言って中学生に理解できるだろうか?
中学教師ではないからよく分からないけれども微妙なのではないだろうか。
小学生に
「3×5と5×3は答えは同じだけれども、
答えの単位が前の方の数字の単位と同じになるように書きなさい」
と言って、理解できるだろうか?
「本当の数学では同じだが、ここではこういうものだとしておこう」
などと理解できる小学生はいないだろう。
しかし「数学というのはこういうものなのか」という理解はできるだろう。
もちろんそれは本当の意味からすれば間違っているのだが、
ちょうど「x^2=-1の解はない」が正解になるのと同じようなもの。
これを聞いて、「教師からの押しつけだ」という意見があるようだ。
確かに「普通の数学」とは異なるルールを強いているのだから押しつけである。
しかしこの押しつけはしてよい押しつけであると思う。
「答えは同じなのだからどちらでもよい」と小学生に思わせるよりは、
「こう書かなければならない」と思わせた方がよい。
事実は「どちらでもよい」のであってでもだ。
この意見を理解できない親もいるだろう。
教師に教育方法を任せている立場というのを理解すべきであろう。
どういう教育をすべきかという問題は誰に決める権利があるのか。
国か現場の教師か。親にそこに入る余地はないのか。
教師の意見が入る場所はたくさんあってさらに影響が大きい。
それらについて何も触れないのは変な話だ。
今一度、問題を投げかけておく。
「教育方針は誰が決めるのか?」
(追記1)
x^2=1になってました。正しくはx^2=-1ですね。
(追記2)
今問題にしているのは数学ではなく、教育の話だから、高校数学まで理解していることとは何の関係もないのだが。
あともう少し正確に言えば、かけ算を習う小学生の低学年を想定して書いてたからなあ。
まあ、理解できる人もいるかもしれない。
もし理解できるなら、そもそも×をつけられるような解答は書かないでしょう。
わざといじわるして、つまり批判するためにそういう解答を書くことはあるかもしれない。
それはそれで問題ない。
教師の立場では、かける数とかけられる数を区別できるようにすることが目的なのだから、
それが理解できるならばそれでいいんだよ。
その上で、かけ算の順序を気にするのはおかしいと議論するならば、
それはもう数学の問題ではなく、教育の問題なのだから、校則がおかしいと文句を言うのと同じ。
そんなの異論はいくらでもあるだろう。
中二のとき、女子同士の苛めが問題になってクラスで話し合いを持ったことがある。
先生が進行役かつ延々と説教役で、意見を生徒に求めても誰ひとり発言しなくて
結局話し合いにはならなかった。
みんな苛めの首謀者グループが誰々か分かっていたし
自分の位置(遠くで見ている一人(私はそうだった)だとか)も
分かっていたし、良くない事というのも分かっていたと思う。
でも、私の場合は、どうすればいいのか分からなかった。
その後すぐには苛めはなくならなかったのだけど
でも、しばらくして落ち着いていったのは確か。
横だけど、このあいだイラン人と話したんだ。
日本語が達者な人で、イラク人とトルコ人を「彼ら」、アラブ人を「やつら」と呼んでた。
イランは古代からの文明国、アレクサンドロス大王が広めたのはギリシア文化じゃなくてペルシア文化、くらいに思ってる。
イラン人>ヨーロッパ人>>>>越えられない壁>>>>>>アラブ人>>>アフガン人
って感じ。
「イスラム文化もヘレニズム文化も、中身は全部ペルシア文化。」
「軍事国家に征服されはしたけど、ソフトはペルシアのものが採用された。
って具合。
で、イラン人以外のあのへんの民族は、国なんていう概念もなく、馬に乗ってテント生活してる非文明人。
物資がなくなるたびに文明国(イランや中国やインド)に略奪しにきてた野蛮人と思ってる。
「アフガン人は頭の中身が500年くらい世界標準から遅れてて救いようがない」
とまで言う。
ということみたい。
と。
結婚式と葬式のときにくるくらいで、普段は土着の民間信仰がメインだとか。
しかも1000年以上昔のアラビア語だよ?源氏物語を原文で読んだってわからんだろ?
シェークスピアの原文のほうがまだわかるわ。英語は学校で習うし。」
って聞くと
「イスラム革命と共和国を目指す革命が同時進行して、いいタイミングで坊主たちが実験を握っちゃった。
最初に革命を起こした連中は頭に布なんかかぶってない共和国派だったんだよ。
なかなか面白い体験だった。
「最初に言っておきたいのですが、私たちはアラブ人ではありません!イラン人です!」
と言われたとそうな。
「宗教色が薄い国ほど、カルト(共産主義も含めて)が政権を握っちゃうから日本も気をつけるべき!」
と。
それは、いままでの経験則として否定したい。
相互にコミュニケーションがきちんと取れれば、衝突は無くなるよ。
ただ、イラン人とコミュニケーション取る歳には、シーア派とスンニ派の違いって分かる?と突如言われても、
正統カリフの問題が初端であり、名目上そこで争ってはいるが、イラン問題においてはむしろ地位的不均衡が背後にある。
という事を理解して、衝突を回避するには何を解決すべきかという自分なりの考えを持っていないとコミュニケーションとはいえ無いって事。
相互理解だからね。
ヒンドゥー教徒に牛食うなといわれたら、ヒンドゥー教徒にとって牛が神聖であることを理解していること、
日本では牛がどういう扱いかを話した上で、じゃぁ、お前の前では食わないようにするわという譲歩を取ればいい。
相手にも、コミュニケーション能力があれば、そこで衝突は回避される。