高校以上なら、「x=i,-i」が答え。
高校以上で、「解はない」と書けば間違いになる。
では、中学ではどうか?
中学までなら、「解はない」が答え。
中学で「x=i,-i」と書いた場合、それは間違いになるのか?
とすれば、振り返って「解はない」を正解にして良いのだろうか?
中学では虚数を習っていないから「解はない」を正解とするのが良いだろう。
それは、数学的に正しいかどうかではなく、「教育的配慮」であろう。
すなわち「中学の数学」という特殊な数学の上で正しいのである。
「中学の数学」の中で虚数は定義されていないから、「x=i,-i」は間違いになってしまう。
それはちょうど高校の数学でロピタルの定理を使ってはいけないのと同じである。
では、次に「x=i,-i」と書いてきた解答を×にして良いかという問題がある。
間違いかどうかと×にして良いか、それを子どもが理解できるかどうかは別問題だからである。
たとえば、「ロピタルの定理を使ってはいけない」と高校生に言えば、理解できるだろう。
だからこれは議論にすらならない。
では中学で「虚数を使ってはいけない」と言って中学生に理解できるだろうか?
中学教師ではないからよく分からないけれども微妙なのではないだろうか。
小学生に
「3×5と5×3は答えは同じだけれども、
答えの単位が前の方の数字の単位と同じになるように書きなさい」
と言って、理解できるだろうか?
「本当の数学では同じだが、ここではこういうものだとしておこう」
などと理解できる小学生はいないだろう。
しかし「数学というのはこういうものなのか」という理解はできるだろう。
もちろんそれは本当の意味からすれば間違っているのだが、
ちょうど「x^2=-1の解はない」が正解になるのと同じようなもの。
これを聞いて、「教師からの押しつけだ」という意見があるようだ。
確かに「普通の数学」とは異なるルールを強いているのだから押しつけである。
しかしこの押しつけはしてよい押しつけであると思う。
「答えは同じなのだからどちらでもよい」と小学生に思わせるよりは、
「こう書かなければならない」と思わせた方がよい。
事実は「どちらでもよい」のであってでもだ。
この意見を理解できない親もいるだろう。
教師に教育方法を任せている立場というのを理解すべきであろう。
どういう教育をすべきかという問題は誰に決める権利があるのか。
国か現場の教師か。親にそこに入る余地はないのか。
教師の意見が入る場所はたくさんあってさらに影響が大きい。
それらについて何も触れないのは変な話だ。
今一度、問題を投げかけておく。
「教育方針は誰が決めるのか?」
(追記1)
x^2=1になってました。正しくはx^2=-1ですね。
(追記2)
今問題にしているのは数学ではなく、教育の話だから、高校数学まで理解していることとは何の関係もないのだが。
あともう少し正確に言えば、かけ算を習う小学生の低学年を想定して書いてたからなあ。
まあ、理解できる人もいるかもしれない。
もし理解できるなら、そもそも×をつけられるような解答は書かないでしょう。
わざといじわるして、つまり批判するためにそういう解答を書くことはあるかもしれない。
それはそれで問題ない。
教師の立場では、かける数とかけられる数を区別できるようにすることが目的なのだから、
それが理解できるならばそれでいいんだよ。
その上で、かけ算の順序を気にするのはおかしいと議論するならば、
それはもう数学の問題ではなく、教育の問題なのだから、校則がおかしいと文句を言うのと同じ。
そんなの異論はいくらでもあるだろう。
x^2=1の解は? 高校以上なら、「x=i,-i」が答え。 x=1,-1 じゃね?
∩_ 〈〈〈 ヽ 〈⊃ } ∩___∩ | | | ノ ヽ ! ! こいつ最高にバカ!! ...
「本当の数学では同じだが、ここではこういうものだとしておこう」 などと理解できる小学生はいないだろう。 マジこの問題で「順序がある」派の奴は、自分が小学生の頃頭悪かっ...