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はてなキーワード: 接吻とは

2009-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20090224010925

どうでもいい追記をする。

ブクマコメントに「彼氏がいるって話の時点でそれを思いつかなかったのか」ってのがあったんだけども

実は彼氏ができたことは前に聞いてた。でも、なんていうか、それ自体にはあんまりびっくりしなかったていうか、別に友人は多分処女(というのは今までつきあったことないって言ってたから)ではあるけど、別に外見は普通のイマドキの子だから、そりゃ作ろうと思えばできるわなと思ってた。だからそれ自体には「へぇーかのうじできたん」という感じで私もどっしり構えてた。

ただ何となく、抱擁や接吻などを軽く経験した後なんとなく数ヶ月で別れるんじゃないかと思ってた。何となくというわりに具体的なんだけども。多分コミケが迫ってきて原稿が忙しくなったら別れるんじゃないかなと漠然と思ってた。セックスはするとしても半年はたたないとしないだろうみたいな風に思ってた。オタカップルだったし。最初数ヶ月は昼間のデートくらいで終わるんじゃね?と

だからまあ「キスしてさぁ」とかそのくらいなら「へへへへへぇーーーー」って感じで平気でいられたんだけどまさかセックスしてるとはさ……しかも言い方からして、「もう何度目かのセックスだけど、生でやっちゃってー」……って感じなんだよ。

だから驚いた。まだ2ヶ月しかたってないのに何?セックスに対するこの熟練ぶり。どんだけやったんだよ!!っていう。あああ考えちゃいけないのに考えるううううう

恋愛経験が結局、数本の乙女ゲー(終着点が「告白成功」)しかないから、付き合ってからどのくらいでナニをするかってもう全く想像がつかない……それでいて無駄エロ漫画は読んでるから妙に想像してしまう……

言うなれば「セックス」というのは私にとっておそらくファンタジーであったのに、目の前でそのファンタジーを共有していたと思しき人物がそれをリアル化してしまったからきっと脳が混乱しているのだ…「え?なに?マジなの?漫画じゃないの?どっち?」みたいに。

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-08-22

はてブの〔名文〕タグが全く役に立たない件

いい文章を読んでみたいと思って探してみたんだが、ちょっとこれ見てみ、

http://b.hatena.ne.jp/t/%E5%90%8D%E6%96%87

出てくるエントリー読んだ?

名文でもなんでもないものばかりだよ、

増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl

これ、名文?どこが?面白いけど名文ではなくね?

最低の話

これのどこが名文?どうひっくり返っても名文とは呼べなくない?

体力を夜のうちに回復させるワザ - ビジネス本マニアックス

これ、操作ミスだよね?だよね?嘘だと言ってよ!

めんどくさいので以下省略。とりあえずはてなアイドルだけとりあげてみる。

しりとりエッセイだってよぉ - soulfireの日記

面白いけど名文とは違うような。内容は面白いよ、でも名文とは言わない。

「最近胸が垂れてきて」・・・ハァ?垂れる胸があるだけで充分だろが贅沢言うな - heartbreaking.

これは笑った。これに「名文」をつける奴は眼科行け。名文だと思うならお母さんの前で朗読して聞かせろ。改変ネタで「最近水虫がひどくて」…ハァ?痒くても足があるだけで(略」とか考えたけど、もう古いからいいか。

50エントリほど読んだけど、名文タグつけても恥ずかしくないと思ったのは2割以下で、残りは名文とは全然呼べないよ。

特に女はてなーに〔名文〕タグをつけてることが多いんだけど、これってブクマカーが「下心じゃなくて才能に注目してるんですよ」と言い訳したいだけのような気がするよ。そうでないとしたらなおさらかわいそうだ。

こんなのに〔名文〕タグつける人間は恥ずかしくないのか?

自分には感受性がないですと世界中に告白しているようなもんだぞ。

昔の卒業文集を読まされるくらい恥ずかしいぞ。

それから、〔名文〕タグはつけられるほうも実は恥ずかしいんだぞ。推敲もしないで増田に書きなぐったら名文とタグつけられてあとで書きなおせなくなったこともある。

お願いだから、名文という言葉価値を下げないためにも名文タグだけは慎重につけて。


もうやってしまった者へ告ぐ。今すぐ外へ行って十字路に立ち、ひざまづいて、あなたが汚したはてブ接吻しなさい。それからはてな中の人々に対して、四方に向かっておじぎをして大声で言うのです。『わたしがつけました』と。

PS。

qinmu 増田が「名文」だと思う例を教えてくれ。てにをは至上主義だけが名文だとは限らないぞ。

まずそちらから示すのが礼儀だと思うが? 時間あるなら自分で書いてもいいけど。

2008-01-30

私的AV作品ベスト

http://anond.hatelabo.jp/20070929055151

常習サイトDMMを見てたら,女優ランキングのほかに作品ランキングというのもやってた。というわけで,俺作品ランキング

ちなみに,数えてみたら,俺のフォルダには現在303作品が貯蔵されてた。まあ,全部買ったわけじゃなくて,動ナビ経由も結構あるんだけどね。動ナビ経由は結構賞味期限が短くて,やはり買ったもののほうが愛着沸いてたり,捨てづらかったりするので,そんなん踏まえると,今までに200本ぐらいは買ってるのかな。DMMで。ってことは・・・20万か!まじか。

俺はフォルダの中を1軍と2軍に分けてて,ポジション争いは結構熾烈。今のところ,1軍が61作品,2軍が242作品。今回のベスト5は,勿論全部1軍から。ちゃんと1軍2軍全部含めて検討したんだけど,結局全部1軍からの選抜となった。1軍,2軍の分け方は妥当であったと言えよう。

1位:持田薫「人間廃業」

このシリーズ好きなんだけど,この作品は群を抜いて好き。今までに一体何回再生したことやら,数えてるわけないが,100回や200回じゃきかないかもしれない。そもそも,今回の企画を思いついたのも,この作品を世に広めたかったからだったりする。能書きはいい。見れば分かる。

2位:小川流果「胸キュン 小川流果 流果はスケベな子猫ちゃん」

最初は動ナビ経由で猫コスの絡みだけ見たんだが,俺の体に電流が走った。こんな良いものがこの世に存在するのか,そういう感じかな。後半,3人にいじられる様子もやばい。のだが,そっちは本番ないのが超残念。でも,前半の猫コスだけで十分元は取れる。

3位:望月ねね「乳づくし・・・Jカップ淫乱伝説

女優ベスト10に入ってこなかった女優,望月ねね。柔らかそうないい乳をしているが顔があれなのでね。ただこの作品は良い。というか最初の吉村卓との絡みだけが良い。吉村と望月の組み合わせじゃないと生まれなかったエロスだ。本当は顔があれな望月ねねが妙に可愛く見えるぞ。

4位:紋舞らん「美しい痴女の接吻セックス

紋舞らんは本当に根性のある,サービス精神のある素晴らしい女性だと思っているが,そんな彼女の根性とサービス精神がもろに表出したのがこの作品。キスまくり。最後の絡みなんて,筋肉マンに突っ込まれながらはげたじじいとキスし続けてる。キスが好きなら間違いない。

5位:夏目ナナ「「超」ヤリまくり!イキまくり!24時間!!夏目ナナ完全ゲリラSPECIAL!!」

題名テンション高いな。夏目ナナが色んなドッキリにひっかかる。いや,やらせだけどさ。いいの。別に。銭湯での撮影で突如絡みに突入雑誌インタビュー中に突如以下略レンタルビデオ屋でのサイン会中に以下略,家帰って寝てたら以下略。この人は美人なのにすごいことやるよな。ご立派。

2007-10-23

クリクリ

新編真ク一覧。大体1500円。

新編真ク・リトル・リトル神話大系2巻の折り込み広告に載ってたのを元に作成

後ろの対応はhttp://homepage1.nifty.com/ta/sf1/cthulhu.htmを参考に作成


7 isbn:9784336049698

6 isbn:9784336049684

5 isbn:9784336049674

4 isbn:9784336049667 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 4 (4): H.P.ラヴクラフト: 本

3 isbn:9784336049650 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 3 (3): A.ダーレス: 本

2 isbn:9784336049643 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 2 (2): H.P.ラヴクラフト: 本

1 isbn:9784336049636 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 1 (1): H.P.ラヴクラフト: 本

2007-03-29

こういう子が怖くてしょうがない。

いつからか増田童貞臭からヤリコ臭にかわりましたか?

http://anond.hatelabo.jp/20070329130800

部下に接吻されてころりと落されたことがある自分としてはこういう子が怖くてしょうがない。

純な人は回避力はあるので避けるのはうまいのだが、防御力がないので打たれ弱いのだよ。

そもそも恵比寿像の側の居酒屋ってラブホ街じゃないか。

http://anond.hatelabo.jp/20070328220346

高2で53人ですか。

普通女子高生なら「学年の男子半分」ぐらいの勢いじゃない?

いつからなの?中2ぐらいからでもまだキャリア4年ぐらいでしょ?

そのペースだと職業女性より多いと思うよ。ちょっとおじさん唖然。

彼氏が11人っていうのはもって3ヶ月ぐらいってことですか?

同時進行なのかな?

イクとかイカナイとか以前に相手がパートナーじゃない?

日本の法制度の下ではなんか苦労しそうだなと思ってしまう。

でも数をちゃんと数えているのは偉いね。でも53人の名前はいえないべ。

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