はてなキーワード: 処女厨とは
大竹しのぶが明石屋さんまを嫌になった理由のひとつに、「彼が彼女の手荒れを喜んだこと」がある。
人気女優である大竹しのぶが家庭に入り、自分ひとりのためにせっせと家事をし、
手をボロボロに荒らしていることを、「俺のためにこんなにしてくれて」と嬉しそうにしていたのだという。
このタイプの男に喜ばれるためには、どんどんボロボロになるしかない。
男のために手を荒らし、男のために疲れ果て、サービス、サービス。
そして衰えればポイ捨てされるだけだ。
私に何かするために健康を害されてもちっとも嬉しくないし、
私にサービスするためにストレスを貯めてあっという間に老けられても嫌だ。
「処女を犯し、穢し、中古品にし、女としての価値を暴落させること」に喜びを見出している男とは口も利きたくない。
非処女は汚い、処女とやりたい、と言う男は、女を劣化させることを楽しんでいる人間だと思う。
もうすぐ三十路、二児の母です。
中居正広 「汚れの無い女性が良い」「処女がいいっすよ処女!」「処女としか絶対結婚しない」
北野武 「色んなチンポ入れられちゃったのが良くないんだね」
立川談志 「やっぱり同じ買うなら傷物(非処女)買うよりは、いいサラ(処女)買いてえだろ」
秋元康 「女優、タレントは食べてきたけど、なんで高井麻己子と結婚したかというと処女だったから」
市川海老蔵 「海老蔵が結婚を決めたのは彼女が処女だったから(友人談)」
このあいだどういう流れや意味なのか、具体的な話を聞いた
その時は別になんとも思ってなかった
自分の変化に気付いたのは1日ぐらい経ってからだった
なんか変だなーなんだろうと考えて、信じられない結論に達したんだけど、
前より彼女への気持ちが減っていた
今でも好きだけど明らかに前より気持ちが減った
取り繕って書いてもしょうがないから正直に書いているけど
彼女を大事に思う気持ちが減ったという感じ
自分でいま書いていても恐い
どこで何をしていても感じていた彼女へのモヤモヤした熱のような気持ちが
何の説明も辻褄もなく身体の中から減っていた
一生減ることなどないと思っていたのに
夜寝る前に「もし万が一彼女にフられたら」と考え出しちゃうと寝られなかったのに
「お互い初めてだった。」⇒まじめ。1年半過ぎなのもうなずけなくはない。
結論から言うと経験が浅すぎるってだけ。そして彼氏が仕事で疲れてストレス溜まってたんじゃ?もしくは新しい出逢いがあったか。
数が多ければ良いってもんじゃないが、所謂普通の人は結婚する段階で5~10人くらいは経験あるんじゃないの?
高校3年~大学4年~社会人5年の12年間、2年に1人だとして6人、3年に1人でも4人、毎年だと10人オーバー、数ヶ月単位だと…。
たぶんあなたの不満は「自分の理想通りの人生を歩めなかった」ということだと思う。
正直、それは仕方がないことだと思う。何でも思い通りになる人なんていないからね。
でも、それを「女処女厨」とか自己卑下する必要はないんじゃないかな。
どんなものであれ、自分なりの美学があったのなら、それを貫き通せなかった不運を悲しむぐらい許されてもいいと思うし。
ちなみにかく言う俺の現状は「魔法使いになりかけてしまった男処女厨の末路」だ。
ここ数年痛感するのは、仮に自分が「処女厨」的美学を守り通しても、なんとなく結婚というものの内実が見えてしまった今となっては、精神的には童貞ではいられないんだなということ。素人童貞は痛いといわれるけど、「肉体童貞」とでも言うべきもっと痛い状態になってしまった。
たぶん、もはやどんな女性が目の前に現れても夢中になることはできない、「この人と生活していけるか」という打算でしか動けないんじゃないかという空しさと悔しさを感じる。そしてそれをどうすることもできないということも。
それに気づいてから気がつけば五年以上。当初は身を切られるほど苦しんだが、現在はそういう自分を辛いとも思わなくなった。「諦める」というのも一つの選択肢だと思う。それが楽しい結末に繋がっているとは決して思えないけれど。
今どきはどうもそうらしい、ということは大学に入って同年代の男性と接するようになって段々分かってきました。
しかし、実際に現代の男性がどう考えているかはあまり問題ではなく、家での教育の影響か私自身が旧い考え方であるため、どうしても元エントリで書いたような考え方になってしまうのです。
少し前、三年半付き合った彼氏に振られた。
極端な表現に思われるかもしれないが、もう、自分には恋愛や結婚市場に参入する価値があるとはどうしても思えない。
元々、私は比較的旧式な厳しい両親に育てられたため、男女交際や婚前交渉といったものにあまり良いイメージを抱いていなかった。
そのせいか、処女厨と呼ばれる人々の主張には共感するところも少なくない。
(ただし、婚前交渉を避けたほうがよいのは男女共にそうだと思っているし、また、自分と関係のない他人の婚前交渉については特に否定するつもりもない)
ほとんどの親族が恋愛することなくお見合い結婚しているし、自分もそうするのだろうと漠然と思いながら、高校まで過ごしてきた。
ところが、大学に入り、ゼミの先輩に心惹かれた。頭の切れる、真面目で素敵な人だった。
恋愛というものをできれば避けたいとすら思っていたので、これはただの脳内物質の仕業、と自分を納得させて、ひっそり胸に秘めておこうと決めていた。
しかし、先輩も私に好意を持ってくれて、告白を受けた時にその決意は揺らいでしまった。
少しだけ罪悪感を覚えながらも、両親には内緒で付き合いだすことになった。
一年半過ぎて、結婚の話もちらほら出てきた頃、彼に処女を捧げた。お互い初めてだった。
それまで、彼が私のことや婚前交渉を避けたいという私の意思を、とても大事にしてくれたせいもある。でも何よりも、彼に喜んでほしかったし、彼となら、と思ったからだ。
振られてしまった今でもやっぱり、彼と関係を持ったこと自体は後悔していない。
ただ、別段本気で信じていたわけではないが、初めて結ばれた日に「一生大事にするよ」と言った彼の言葉を今でもぼんやり思い出す。
振られる直前の数ヶ月、彼がなんとなく冷めてきていたことは気づいていた。
だからこそ、初めてを捧げた彼に嫌われたくないと思うあまり、しつこくしたり不安がったりしてしまい、彼が余計に冷める、という悪循環だったようだ。
結局、「負担に感じる。もっと落ち着いた付き合いが出来ると思ったけど、無理みたいだから」と振られてしまった。
今でも、彼のことが好きだ。でも、それではいけない、断ち切ろうと努めている。
時には、他の男性を素敵だと思うこともある。
しかし、まだ振られて数ヶ月程度なのに他の男性にときめく自分に自己嫌悪する。
また、もう処女でない自分は次の男性と付き合う資格、ましてやお見合いする資格などないんだ、仮に付き合ったとしても結婚なんて許されない、と考えてしまう。
頭では、気にしない男性もいるはず、とか、男性側も童貞でなければおあいこではないか、と思うのだが、感情としてはこれらの反論で納得することが出来ない。
(最初の方で婚前交渉を避けるべきなのは男女共にだと思っている、と書きましたが、童貞でない男性とも結婚する資格がないと感じる点で、いわゆる女性差別型の処女厨の方のような思考パターンと似ているところがあるのかもしれません)
どうしたら楽に生きられるんだろう。仕事に生きるしかないのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100611200158/ 「2ch既婚女性板の「アンチスレ」調べ」
現在話題沸騰のこれ(ブクマ300超え!)、自分も読んだ。興味深い、興味深すぎる。
そこでフィールドワークですよ。友達・家族に「鬼女でアンチスレ立ってそうな人」って誰だと思うか&その理由聞いてみたよ。回答者は男女/既婚未婚混合。鬼女板住人はいない(ハズ。自己申告上はゼロ)。実際アンチスレがあるのを知ってるばあい(「雅子さんてアンチすごいんでしょ、見たことあるよー」とか)、その人以外でありそうな人を答えてもらった。一応複数回等可で。
長いうえに瘴気が渦巻いてるんで、ご了承を。
…ふう。ここまで読んでくれた人乙。超乙。
一応、元増田に敬意を表して(?)簡単な傾向分析を。
男単体(玉置浩二とかキムタクとか辻とか。「吉本芸人」含む。○○夫妻って嫁とペアじゃなく、男だけっていう意味ね)を挙げたのは全員女の人。男のほうが「女の敵は女」て考えてるのかな。ただし朝昇龍を挙げたのは男。あまりのボンクラ回答に飲みの席がザワ・・・となったw
悪妻系(高木広子・本田の元嫁・古田の嫁・サッチー・田中の元嫁)を挙げたのは全員男。逆に玉の輿とかイケメンとくっついた「だけ」の人(伊東美咲とかイチロー嫁とか稲葉嫁、エビちゃんなど)は女。例外として「カカの嫁」を挙げたのは男で、女の子から「あそこまで完成度高いと嫉妬も何もないんじゃない」て突っ込まれてた。男は職務を果たさない嫁、女はおいしいとこを持ってく同性が嫌い?
ブリッコ系(安めぐみ・小林姉妹・宮崎美子・神田うのらへん。聖子さんも)は、意外と全員男が回答。女が嫌う女といえばブリッコでしょ!と決め打ちしてるきらいがあるようだ。
最近よく聞く「処女厨」なる存在について、ホントきもちわるいと思う。
いや、もちろん女性に処女性を求める男性が悪いというわけではない。
そういう人がいてもいい。美人であるとか性格が合うとかと同じくらいの比重、もしくはそれ以上の比重として
「処女である」ことを重視するのは個人の価値観であって、誰にも阻害される謂れのないものだ。
ただ、さ。
要するに、「俺は処女しか受け付けない」を「処女以外は人間のクズ」に変換してるのがすっげえキモい。
メス犬だのビッチだのなんだのかんだの、ネットに飛び交うスラングの数々がガチできもい。
そういう言葉を現実で発せず、ネットでわめきたてる方が世の中に数多存在するということが、
心底キモい。
別に日本人は処女を裁判で証明したりとかそういう歴史を持ってない。そんなキモい民族とは違うのが
日本人の良いところだと俺は思ったりもするがまぁこれは別の話。
日本人は元来農耕民族+汎神論的な土壌に育って来てるので、処女信仰ってあんまりない筈なのである。
強いて言えば処女信仰が生まれたのは、明治辺りに輸入された「愛」とか「恋愛」の観念からであって、
もっと言えばアンドレ・ジット辺りの元祖白人処女厨辺りのブンガクが輸入されたのが基だ。
もちろんそれはキリスト教の輸入と同義である。その中に含まれていた「恋愛」の観念が、日本では極めてファッション的な
「自由恋愛」という一大潮流を形作った。
要するに、「処女厨」と「自由恋愛」は同じところに端を発しているのである。
自由に恋愛をするからには、当然セックスもする。愛し愛されてセックスをする。
この当時、自由恋愛する処女厨というのは「見合いお断り」「家と家の結婚なんてクソファック」
社会からつまはじきにされても俺は愛を貫くぜ、というのが処女厨の本来の姿である。
処女厨とは本来隠遁する存在であり、社会に向かってギャーギャー喚くようなモンではなかったのである。
それは「自由恋愛」を手に入れるための戦いで、これがあまりにロマンティックであったため、
日本では「恋愛」っていう観念が唐突に生まれた。過去のブンガクを遡れば、
「一途な愛」なんてめったにないことがよくわかる。日本人は古来、やりまくりである。
「自由恋愛」を彼らはあんまり認めない。というよりは、彼らは「自由恋愛」にあんまり触れていない。
それどころか、「自由恋愛」に唾を吐く。恋愛する人間にギャーギャー言う。
しかし、処女であることを求めるということは、自分が突っ込むまっさらな穴を求めているということで、
非常に身勝手である。処女厨が童貞であることを誇っているのを見たことがない。
古来、日本の処女厨というのは童貞を誇ったものである。童貞と処女がドッキングすることが
明治以降のブンガクの始まりであった。(ただし、田山花袋にあっさり覆されたが)
要するに何が言いたいか。
処女厨よ、童貞を誇れ。それでこそ君は正当なる処女厨となれる。
あるいは、「俺は既に生涯たった一つの穴を持っている」と叫べ。そうでなければならない。