はてなキーワード: 光速とは
君は本質論を気取るあまり肝心な部分を見落としてるね。もう一度自分の書いた文を見直してごらん?とんでもないことが書いてあるから。
光が遅いって、そりゃ事の本質を理解してないな。
光速 c ってのは別に光の速さを示しているわけじゃないんだよ。いや、結果的に光の速さを示す事になるんだが、あれは時間と空間の換算係数でしかない。1秒の長さを表す数字でしかない。「1mは短い、短すぎる」って言ってるようなものだ。
本当は光が遅いんじゃなくて人が速すぎる、大きすぎるだけなんだよ。人の寿命が1万年位とか身長が1mm位にならないと解決しないよ。なっても解決しないけど。
どこがなんて教えないよ
単純に、男の方が女より相対的に性欲が強いっていう話はない?
そうしたら女の方が求められる回数が多くなって相対的に受身になるっていう。
その性欲の差が生物学的なものかどうかは分からないけど、男が性欲を表出するのはそんなにネガティブイメージはないよね。
バイアグラの光速認可とか、歳を取っても「現役」な人が微笑ましく(うらやましく)見られるとか。
生殖年齢を基準として出産に適さない年齢になった女はリタイアしろっていう意味なのかもしれないけど、それなら女にとってのセックスとは生殖行為としての意味しか期待されてないわけで、それを無意識に感じ取ると主体的に避妊することに後ろめたさを感じるとか。
あーでも避妊手段としてコンドームの使用率がやたら高いのは日本特有なんだよね。
諸外国と何が違うんだろうね。
特定の宗教を信じているあいつらにとって、彼(あいつらが絶対しているもの。神でもしょーこーでもなんでもいい)が絶対なんだろう。
僕も信じているものはある。絶対かどうかは自信がないけれど、でも今までの経験から行くと信じるに値する。
このような自分が信じている公理や定義から導き出される定理も信じている。
でもあいつらにとっての公理・定義は彼が言ったことなんだ。
もし僕がそんな奇跡おこりっこないよと言っても、あいつらは公理・定義は正しいからきっとその奇跡は起こるって言い張るだろうし、
僕がそんな奇跡起こってないよと言っても、あいつらの目にはその奇跡が起こっているように見えているに違いない。
だって、世界を構成するのは彼が発する言葉が元なのだから。
そもそも、あいつらにとてそれは奇跡ですらないはずだ。
僕があいつらと同じように特定の宗教に入信するときがあるとするなら、
それはその宗教の教えの中に矛盾のない公理・定義を見出したときだろう。
そこからきっと僕は定理を考えるだろう。
そして、きっと僕はその宗教の原理主義者になるだろう。きっと。
ほんとうにすごいと思うのは、世の中の宗教のほとんどは少なからず矛盾がすでに発露しているのに
それを見過ごしてそのままその宗教を信じている人が多いということだ。
僕には耐えられない。
だけど、だから僕は特定の宗教の教徒にはならない。なれない。
http://anond.hatelabo.jp/20070224194128
逆にさ、人に教えてもらって成功したり能力を発揮できて本当に楽しいかって考えたことがある?
もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。
当時の私が陥っていた思考の罠は、
「人に教えてもらうことは、所詮はお情けに頼ること。自分では何もできないということを認めること。これは屈辱だ」
というものでした。ここで思考停止してしまっていました。
ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。「自分ではなにもできない」というのが紛れもない事実だったことです。これを認める勇気がなかったことが全ての敗因です。
私見ですが、研究者として必要な能力は二つあります。「何を(what)するか」と、「どうやって(how)するか」の双方です。
このうち、whatは人から教えてもらうことが困難です。知識をいくら集めても、質の良い研究テーマは出てきません。何が重要か、何が面白いか、そのあたりの判断ができることが必要です。当時の私には、このあたりの能力はあったと思うのです。そういう意味で、私は自分が才能に欠けていたとは必ずしもありません。
一方で、howの方は人から教えてもらうことができるのです。そして、「やりたいこと(what)」の中からできそうな部分を切り出してくるような能力、これも広い意味のhowに入るのです。これこそ、私が見落としていたことです。知識は本や論文から手に入れることができます。しかし、知識を集めてhowにすることも難しいのです。それができるようになるためには、経験が必要です。そして、経験がなにもない段階から経験がある段階にステップアップするためには、先達の指導を受けることがどうしても必要です。
私には、whatとhowの区別がありませんでした。確かに、whatについて教えを乞うことは恥かもしれません。無目的に時を過ごすことの無意味さを自覚できていないからです。しかし、howについては教えを乞わないことが恥だと思います。歴史上多くの先達が一生をかけて成し遂げてきたことを自分だけの力で何とかしようというのは、無謀以外の何ものでもありません。
物理学の歴史上屈指の天才の一人として、アインシュタインがいます。彼の最大の業績としては、まず間違いなく特殊相対性理論が挙げられるでしょう。これは、時間とか空間といった日常的な概念に変更を迫るものとして、一般人の関心をも大きく惹きつけました。
ですが、アインシュタインの業績だと一般に思われていることを100とすれば、そのうちアインシュタイン独自のアイディアは実のところ2か3ぐらいしかないのではないでしょうか。光速度が一定であること、時間や空間が伸び縮みする可能性があること、これらは全て、ローレンツとかポアンカレとか、これも歴史に名が残るような当時の一流の人たちによって既に得られていた成果なのです。現代でも「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする」などという本が出版されているぐらい、このあたりは微妙な話に属するのです。しかし、それでもアインシュタインは段違いに偉大だと私は思うのです。アインシュタインの理論は単純な原理からこれらの新しい結果を自然に導き出せる驚くべき明晰さに価値があるのであって、これにくらべれば、ローレンツやポアンカレのアイディアは斬新ではあっても、既存の理論の綻びを無理に覆い隠すようなその場しのぎのものにしか見えなくなってしまいます。しかしそれにしても超一流であるアインシュタインにして、せいぜい100のうちの2か3のアイディアしか出せないことは注意する必要があります。それが成熟した学問分野での研究者の世界というものです。
さて、アインシュタインは特殊相対性理論を発展させて、一般相対性理論を提唱しました。これこそは全く新しい分野の構築であり、100のうちの100のアイディアがアインシュタインのものであるといってもいいように見えます。しかし、この理論の肝である「曲がった時空」を扱うためのアイディアは数学のうちの「微分幾何学」と呼ばれる分野から丸々拝借してきたものであり、数学者の立場からみれば、長年にわたって構築されてきた理論にアインシュタインは物理的解釈を当てはめただけ、と言えなくもありません。そして、「微分幾何学」を物理学に適用するというアイディア自体もアインシュタイン独自のものではなく、その指導教官のミンコフスキーの助言に端を発するものなのでした。もしアインシュタインがミンコフスキーと知り合っていなければ、この理論の発見者はアインシュタインではなかったかもしれません。アインシュタインですらhowを指導教官から教えてもらっているのに、どうして稀代の天才でない人間にそんなことができるでしょうか?
華々しく成功して賞賛されたのはいいけど、後々まで、教えてもらった人に、
「あの時は世話してやった」と言われ続けるのは、あなたにとって屈辱じゃないの?
「こいつは使える、優秀だ」と、周りの人に評価されてうれしいの?
評価されて嬉しくないはずがありません。評価されなければ、自分の挙げた成果も日の目を見ず、どこかに埋没してしまいます。それが研究者の世界です。それでは実績を残したことにはなりませんし、研究を続けることもできなくなるし、社会に何の貢献もできていないことになってしまいます。目的ではなく手段として、評価されることは必要です。それを嫌って前衛芸術家を気取っている人は、一生を前衛のままで終わらざるを得ないでしょう。
それに、「あの時は世話してやった」と恩に着せるような言い方をされるのが嫌だといったところで、指導を受けずに何の成果も残せないこととどちらを選ぶかといわれれば、答えはいうまでもありません。それにそもそも、弟子が華々しい実績を上げれば、黙っていてもその人の師は優れた教育者として歴史に名を残すことになるはずで、最初から自慢をする必要などありません。
この元記事を書かれたあなたへ。おそらくあなたは現役の学生なのでしょう。血気盛んに、何かを成し遂げてやろうと思っていて、私を二流に甘んじた人間とお思いなのだと思います。その意気は買うべきものがあるし、私が二流なのも事実でしょう。しかし、「何かを成し遂げる」ということは、あなたの思っている通りのことではないのも事実なのです。それを知って欲しいのです。上にアインシュタインの話を長々と書いたのも、アインシュタインであっても実際に成し遂げたことはおそらくあなたの想像より遙かに地味なことであろうという事実を知って欲しかったからです。所詮人間の能力には限りがあり、天才と凡人には言うほどの違いはありません。ただし、次に引用するニュートンの言葉が全てを物語っていると思うのです。これを肝に銘じ、有意義な学生生活を送って頂きたいものです。
「私が遠くを見通し得たとするならば、それは巨人の両肩の上に立っていたからだ」
その辺の知識に興味が薄いというか意識の希薄さが影響する。
判りやすくいうと
PCエンジンとかメガドライブとかファミコンとかディスクシステムとかスーパーファミコンとかツインファミコンとかプレステとかゲームボーイとかネオジオとかワンダースワンとかゲームキューブとかLYNXとかセガ・マークIIIとかマスターシステムとかレーザーアクティブとかゲームギアとかドリームキャストとか光速船とかピピンとかPC-FXとかサターンとかバーチャルボーイとか3DOREALとかテラドライブとかX1twinとかNintendo64とかDSとかWiiとか各種ゲーム機をゲームに興味の無いオッサン・オバサンが「ファミコン」と総称するのに似てる。
光の速さで進んでも太陽まで8秒ぐらいかかるんだという話をふと思い出した。
そういえば光にも速さがあるんだよなぁ。
ということは、物を見るということは光の反射を認識することだから、今目に見えてるのものは全部過去のものなんじゃね?
つまり、今存在してるのは俺だけってわけだ。デカルトがそんなことを言ってたっけな。
ああ、でも待てよ。
こうやって考えるということも所詮は電気信号がどうにかなったから、みたいな話を聞いたことがあるな。
電気が伝わるとき、計測できるかどうかは知らんが、時間はかかるわけだ。
なんだ、現在を生きてる奴なんて誰もいないじゃん。
くだらねぇな。
といったことを仕事の合間に考えてた。
相当疲れてるらしい。
とりあえずこの山場を乗り切れば休みが貰える、はずだ。もらえますよね?というかください。お願いします。