はてなキーワード: 中等教育とは
http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20090224/p1
これを読んで改めて感じてしまった。
以前は自分が批判される若者の立場にいるから反射的に嫌悪を感じているんだろうと思っていたけど、
若者と言えない年齢になってからも相変わらず「気持ち悪さ」を感じるんで何故なのか整理してみようと思う。
(1)不遜さ。
「以前はマシだった」=「自分はマシだった」という不遜さが垣間見える。
そして「今の若者はこんなこともできんのか、俺はできたぞ」という主張は
たいていは曖昧模糊とした思い出語りの域を出ず、本当にできたという保障はどこにもない。
この態度に僕はこんな疑問を持つ。本当に「昔の自分」と「今の若者」を比べていますか?と。
学生の倍は人生経験のある「今の自分」と「今の若者」を比べていませんか?と。
(2)傲慢さ。
若者語りがされる時「では、どうするか」の視点が欠けている場合が多いような気がする。
「今の若者はこうだ。本当はこうでなければならない。そうするには…」の「そうするには」が欠けている。
ことが教育となるとこの部分を考えるのも言い切るのも難しいけれど、そこが欠けてしまうと単なる愚痴にしかならない。
自分は何にもしないけど、自分の理想の若者像を押し付け、勝手にトランスフォームしろという傲慢さが鼻に付く。
何故、あなたの理想像に合わせなければいけないのか? そうするにはどうすればいいのか? そのメリットは?
(3)切り離し。
何故か若者が語られるときは、話者と若者の因果が無視される傾向にある。
まるで今の若者が脈絡もなく、突然変異的に現れたかのように語る。
今の若者は自分たちが作り出したんだ、という視点が欠けている。
勝手にダメになったんだから、自分たちには責任はない、ダメな若者が悪いんだと説教をする。
そして、同時に入り込んでくる「僕らは大丈夫」のニュアンス(上のブログで言うなら「僕の子供は大丈夫」)。
因果を無視して「彼らはダメだ。僕らは大丈夫」と言ってるだけじゃ、世代間闘争にしかならない。
というか、上でリンクを貼ったブログ主の人は、今現在ダメな若者を作り出している立場にある人じゃあないですか!
(4)責任転嫁。
上記(3)の亜種(セットになって出てくる場合も)。大学で言うならば「大学で教える以前の問題だ」という態度。
「高校の教育が悪い」「いや、中等教育が悪い」「いや、初等教育が悪い」
「いや、親の教育が悪い」「いや、社会が悪い」と責任は繰り上げられていく。
ドリフターズのいかりや長介と仲本工事が演じる「バカ兄弟」というコントがある。
ある日、兄弟の弟(仲本工事)が参考書を開いて一生懸命勉強している。それを見た兄は弟とこんな会話をする。
「何で勉強なんかしているんだ?」
「兄ちゃん、オイラ大学に入りたいんだ。そのために勉強しているんだ」
「ハハハ、やっぱりお前はバカだな。学校っていうのは、頭が悪い奴が頭を良くするために行くところだ。入る前に勉強して頭を良くしたんじゃ、学校に行く意味がないだろう」
僕はこれこそが教育だと思う。大学生の頭が悪いんだったら、そこで優秀にしてあげなければいけないじゃないですか、と。
そのアイデアは、こちらのアイデアの「『教諭』でなく『教科特別講師』という身分」を活用する現場のイメージと、発想の根を共有し、従ってリンクさせることが可能なのではないかと思う。
現在初等中等教育の現場で、現場がもっとも悩んでいることに一つに「総合学習」枠が活用しづらいという問題がある。少し調べれば分かるが、これはまさに現在の公教育内に「私塾」を作るという発想に近いんだ。でも現場にこの枠を活用できる余裕がない。
そこで、「総合学習」枠で『教科特別講師』がそれぞれ小さな私塾を作るというのは、現在の教育制度の延長線上で実現可能な、そして効果のあるあなたの発想の具現化ではないかと思うがどうだろう? 反応乞う。
教育予算が益々減り、一方でアカポスの減少・不安定さから院卒・オーバードクターが余ってたり講師で食いつなぐ人が多い日本なわけだが、
という政策を提言したい。
「教員免許更新制」はハッキリ言って百害あって一利無しの愚策であり廃止されるのが妥当だが(根拠はググれ)残念ながら現在の教師の育成システムでは保護者から「教育への信頼」を取り戻すのが難しいのは事実で、だから教育改革は必至。ただし予算はカツカツ。そこで上の政策。余っている頭脳を、必要な所へ。「研究の最前線」で活躍している人が小中高と連携する。スーパーサイエンスとかそういう政策よりも遥かに実になる現実的なプランで、しかも予算は安くて済む。そして、準アカデミーポストの人が教育の最前線に関わることにより、教育への信頼は復活する。
この政策のミソは、身分が「教諭」とか「常勤講師」でなく「特別教科講師」という新設身分であること。まずは大学の多い府県などを特区指定して、そこに、定数外/常勤で配置する。のちに「教諭」になるのでなく、あくまでメインは「研究」であることが保証され論文を書き、将来はアカポスを得る予定の人が一時義務教育・初等中等教育に関わることが大事。
ここには書ききれないが、実現すれば様々なメリットや相当な効果が期待できる。とりあえず研究職を目指す人の生活の安定も含めて検討すべき政策だし、その意味では急いで検討を始めたどっかの私立進学校とかがパクってやり始めるのも可。その場合卒業生中心に声をかけたりすることになるんだろうな。
(追記)
ちなみに、この話題を自ブログでなく増田に放流したのは、自分の立ち位置を予断に含めて欲しくなかったこともあるけど、現在の増田が非常によいブレストの場になってると考えているから。未熟なアイデアを、しかも小出しみたいな形で出してるのはそれが理由。なので「私塾良くね?」みたいなレスポンスはとても楽しい。ありがとう。あとブクマが増えてることにも感謝してます。適宜そちらにも反応返せたらと思います。そちらのみなさんもありがとう。(反応返してみた:http://anond.hatelabo.jp/20090219230021)
おいおいちょっと待て。嘘言ってもらっちゃ困るよ。
まぁ、私立トップだとクラブとか禁止で勉強するらしいから、それに比べて平均値が低いのはしょうがないけど、トップの層の東大、京大、阪大に行ってる数とかがリアルに桁違い。
俺は灘だったんだけど、クラブ禁止なんて聞いたことないぞ。確かに運動部は高2の秋ぐらいに部活を引退することが多いんだが、それでも高3で試合に出たりする奴もいないわけじゃなかった。むしろそういう奴は周囲から一目置かれていたしな。それに、学校で受験指導らしい受験指導も受けたことがない。
そして、俺の知る限り、甲陽とか洛星とか東大寺とかそのへんの関西のトップ校はどこも似たような感じだったぜ?関東のトップ校のことは余りよく知らないけど、開成とか麻布とかの知り合いから部活禁止なんて話は聞いたこともない。
それに、進学実績も君が信じてるほど私立が図抜けてるわけじゃないぞ。兵庫県で言うと、長田高校や姫路西高校に進学実績で勝ってるのは灘と甲陽だけだ。そして、これらの学校は地域的に離れているので事実上住み分けができている。灘や甲陽は本質的には「西宮北高以上の進学校がない地域」の人間の避難所として機能しているだけで、別に受験に特化した学校というわけじゃない。
別に進学実績なんかどうでもいいんだが、「私立トップ校は受験少年院」みたいなデマを流すのは勘弁してほしいんだよね。そういうデマのせいで、「中高時代勉強しかしてなかったのか」みたいなうざい奴が続出して、正直かなり迷惑してるんだよね。
つーか、そんなことよりもっと気になるんだが、「偏差値30」とか「偏差値70」とか、「偏差値」を絶対的な指標みたいに使うのやめてくれ。
「偏差値」ってのは純粋に統計的な量にすぎないのであって、同じ学力でも母集団が変われば偏差値ってのは大きく変動する。早い話、「偏差値50」ってのは「平均点」っていう意味しかなくて、たとえばレベルの高い模試での「偏差値50」と、誰でも受けられる模試の「偏差値50」の学力はだいぶ違うはずだ。
「戦闘力」じゃないんだからさあ、「俺の偏差値は70だ」みたいな言い方はやめてもらえないかなあ。「偏差値」ってのは母集団が決まってないと全く意味のない数字なんだよね。
追記 ブクマの人へ
ということは、大阪にはそもそもトップレベルの中等教育(高校教育)のニーズはない。のか。/必要なら、兵庫、京都、奈良あたりに越境通学させるから。
そういう面もあるけど、実際問題として大阪のトップ公立校を蹴ってまで隣接府県に行くメリットはあまりないんだよね。私学トップ校と大阪の公立トップ校の差ってのは非常に微妙な差しかないので、入学時の平均学力がちょっとでも高い学生をかき集めることに意味があるかというとこれは一概に言えないからね。むしろ私学のメリットは高校受験の内申点を回避できることと、私服だったり部活が盛んだったりして校風が自由なところじゃないかな。後者は公立でも結構満たされてるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20081025104047
日本は1979年にこれを批准しているが、その内の「中・高等教育の段階的な無償化(第13条)」については留保している。
第13条
1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。
2 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(a) 初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。
(b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
(d) 基礎教育は、初等教育を受けなかった者又はその全課程を終了しなかった者のため、できる限り奨励され又は強化されること。
(e) すべての段階にわたる学校教育制度の発展を積極的に追求し、適当な奨学金制度を設立し及 び教育職員の物質的条件を不断に改善すること。
高等学校なのに中等教育に分類するのってかなり紛らわしくね?何でもう少し別の単語で訳さなかったんだろ。文科省の中の人は高校も高等教育に分類してたりするんじゃないの?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1186237.html
2008年10月25日hokusyu 教育, 政治, これはひどい, あたまがわるい 高等教育の無償化は「子どもの権利条約」でも保障された無条件の権利であって、まずそれを実現できてない政治が真っ先に反省すべき。居直るどころか正当な要求をした子ども自身を非難するのは論外。
種々の形態の中等教育(一般教育及び職業教育を含む。)の発展を奨励し、すべての児童に対し、これらの中等教育が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとし、例えば、無償教育の導入、必要な場合における財政的援助の提供のような適当な措置をとる。
とある。
どう読んでも『無条件の権利』ではないんだが、なんかスターいっぱいついてるのはどういうことなんだろう。
みんなそろって嘘ついてるの? それとも、よく知らないけど自分たちの主張に合致するからってこと?
まず、君、題名のリンク先が間違ってるね。それは君が書いた古い記事だ。
意図は質問だよ。自分は服装でも教育でも何でも属性によって差があろうが是正すべき不公正とは思わないが、あなたはなぜそれが不公正と思うのか、どういう基準なのか聞いたということ。
いや、だから相対化だろ。スカートだの大食いだのというどうでもいい「格差」も存在する、従って格差は全てどうでもいい、と。そういう乱暴な論法にしか見えない。少なくとも「是正すべき不公正とは思わない」という、少しも自明でない主張に対して何の論拠も挙げていない。
だからスカートについては保留といってるだろ。是正しろとは言っていないが、不公正でないとも断言しないよ、俺は。教育ほどの大きな不公正があるとまでは思わないが。そもそも「格差がある」ことと「是正すべき」ということはまた少し違う主張だ。なぜなら、是正をするための資源にも限りがあるから、そこから先はまた次元の違う議論になるからだ。これも何度も書いたことだが
無制限に受けれるわけではないのは日本でも外国でも変わらないのに、何で俗流解釈になるのやら。その記事だって斬新的とか書いてあるように無制限になんでもやれというものではないし、日本の例にいたっては高等教育とも書いてないし大学や塾や家庭教師をどうするかなんか何も書いてない。
馬鹿。なんで「塾」だの「家庭教師」だののあらゆる教育形態を国が網羅しなきゃならんのだ。何らかの形で教育を受けられる機会が存在すればいいんだよ。そしてそもそも日本国憲法には学制だのなんだのと細かいことを規定するためのものではないんだから、そこに「書かれてない」ことは何の論拠にもなりゃしない。そこまで言うならほれ、教育基本法。
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
(教育の機会均等)
第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。
わかったか?君が考えてるより日本の法律はずっと経済弱者にやさしいのだよ。ちなみにこの文章から高等教育は除外されてるなんて恣意的かつ馬鹿な結論を見出さぬよう望むよ。念のために言っておくが「高等教育」とは「高校教育」のことではないぞ。高校は「中等教育」だからな。こんなこと常識だろうが、まったく。
社会的要因によって大学進学率に差が出るのは不公正で塾や社員教育なら公平というのはどういう論理展開なのかさっぱりわからん。
ほらまた言ってないことについて勝手に人の意見を捏造した。国の権力が及ぶのは学校教育法で定められた学校の範囲に決まってるだろ。塾や社員教育に国が口を出したらそれこそ国家権力の専横だろうが。ちなみに教育訓練給付制度っていって金だけ出してくれる制度はあるんだけど、これは教育行政じゃなくて労働行政の管轄(要するに失業対策)ね。
個別にそういう人がいたってかまわないなら、結果として全体の傾向に差があったって問題ないと思うんだが、どうして問題になる?
馬鹿としか言いようがない。サイコロで6が出ることがあるのは当然だが、6しか出ないサイコロには問題がありすぎるだろうが。
だからそれが問題だと最初から言ってるんだろうが!それが問題じゃないとでも思うのかお前は。どんだけ無自覚な搾取者なんだお前は。
細かい昇進とか給与体系は知らないけど、
ってのはどうなんだろうね。調べたら、小学校ではざっと4:1なので、「珍しい」までは行かないようだけど、元の構成比が構成比なのに。
以下データ
人件費の高さは他の先進国でもあまり変わらないと思うが、高いほうが一般的に質がいいはずだから教員賃金が高いこと=教育水準低さってのはおかしいでしょ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/toukei/04042301/004.pdf
やぁ、元増田だ。
どうやら、本当にわかってない人達がいるようだね。
http://www.suzaku-s.net/2007/12/kosei-kyouiku.html
http://anond.hatelabo.jp/20071214154638
円環的時間に子どもを閉じ込める、というのは、どういうことか。個性を育てる教育とか要らないとか、ゆとり乙とか、そういう話じゃない。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
ある方からのタレコミ。小4のお子さんが学校で長方形の面積を横×縦で計算したら減点された。学校に問い合わせたら,担任にも教務主任にも縦×横が正解と言われたとのこと。横×縦でも同じになることを自分で見つけたならば褒めるべきところを減点するようでは,創造性を伸ばすなというようなもの。
こういうレベルの話だ。俺は30年くらい前に小学校の作文授業で、「習っていない漢字」を書いたことによって減点された(日本語としては間違っていない。ただ、「まだ教えていない」ことだけを理由に×をつけられて減点された。理由も明記されていた)。「ゆとり」時代にカリキュラムにあったかどうかは知らないが、「つるかめ算」を意図しているであろう設定の問題で、空気を読まずに二元連立方程式でさっくり解くと、×になる。あくまでも、つるかめ算の操作を暗記して再現するのが算数のテストの答え方だという。ちなみに、ちょっと気の利いた学習塾などに行くと、さっくり解いたあとで求められる操作に数字をあてはめておくといいことぐらいは教えてくれる。このほうがまじめに空気を読むよりは速い。でも、答案用紙に連立方程式の痕跡は残しちゃいけない。
学習指導要領をどう弄ろうが、これが日本の公教育のスタンダードだ。
毎年、「あまり代わり映えのしないこと」(これ自体は、初等・中等教育では、ある程度はそういうものだろう)を教えつづける、という円環的時間の中にいる教師が、生徒を育てるのではなく、自分の授業が自己完結し続けるという循環の材料として子どもを使うという構図だ。その中において、教師の授業の「上を行く」子どもの行動は、夾雑物として扱われる。
一見、「創造性を育む」ようなお題目の内容であっても、「どのような流れでどのような形の解答にたどりつくか」ということが、教師の想定範囲に留まることが求められてしまう。そして、これは個々の授業内容に留まらず、どういうカリキュラムを学校として提供するか、という学習指導要領などの作成にも反映されているし、さらに敷衍すると、社会形成の全てにわたり、よくみる若者カルチャー叩きの構図と重なっていく。文化として、別に良くも悪くもない、というか、どうでもいいことが、単に老人の分からないということだけで罪悪視される。
モンスターペアレンツ叩き事例をよくみると、茶髪やピアスといった、それ自体は正直どうでもいいことについての「生活指導」に対する親の異議申立てが混じっていたりするよね。もちろん、それは自身が茶髪であったりピアスをつけていたりする親への叩きにもなっていたりする。