はてなキーワード: セイヴィアとは
BLMが盛り上がってた頃に、ホワイトセイヴィア(白人の救世主)が話題になった。映画においては白人が最後に救世主の役割を果たすことが多い、という話で、派生して黒人の描かれ方も俎上にのぼった。犯人役として蛮行をおこなう黒人像はもちろんのこと、マジカル二グロ(ちょうどいいところで白人のアシストをしに来る黒人)なんてのも、もうポリコレ的に描けない状況になった。
藤本タツキの『ルックバック』で統合失調症に誤解をあたえるような表現があったとして変更があったらしい。個人的に、こうした声に創作物が左右されていくのはとくに興味がない。社会がそう変わっていってみんなが幸せになるならそれでいいんじゃね、と思う。
でもさ、もう統合失調症を悪く描けないのだとしたら、それはそれでどうなの?って感じもする。
例えば極端な話、推理ものの映画で、犯人候補が統合失調症患者、ゲイ、黒人、白人だとしたら、もう犯人は白人で決定なんだよ。だってそのほかは「まるで〇〇全員が殺人鬼であるような誤解を与える」って言われたら終わりだから。
ルックバックだってそうじゃん。別に統合失調症って単語も、統合失調症を主人公が憎んだり悪しざまに罵ったりする描写がなくてもこのザマなんだから。
商業的にリスクなく悪役として描けるのが「社会的な強者」しか残らない、っていういびつな構造なんだけど、その辺はどう考えているんだろうね。