2024-06-08

先日の新書は、さしずめシェアハウス界の象徴天皇による人間宣言といったところなのだろう。

若い頃は、雑に生きている仲間がいた。

でも、今はいない。

絶えず人が入れ替わり流入しているなら、同年代が居てもいいはずなのに、いない。

みんな、なんだかんだ言いつつも、順当に責任を負う立場になり、部下を指導し、妻子を扶養し始めた。

結局、彼らは、雑に生きる仲間ではなく、若いから雑に生きていただけの人たちだった。

私のような、何の文才もなく、作家としての道もなく、正真正銘終始何の収入も名声もなかった有象無象ならいざ知らず、

歴史に名を遺す側であろうあなたですら、ついに音を上げてしまった。

ニート看板にかかわらず、文章トークショーネットから収入を得ていることを表に出し始めた、名実ともに作家あなたですら、音を上げてしまった。

あなたが音をあげるなら、当然、私も降参せねばならない。

私は収入もなく、親の扶養を当てにしているだけの、ワナビー引きこもりだったという現実と向き合う時がきた。

なんとなく生きてこれたのは、ゲームがあったからだ。

親に与えられたゲーム機の数々を吹聴して、家で遊ばないかと誘えば、それでよかった。

子どもの頃の私はさしずめ、街のゲームセンターの管理人だった。

ところが、同年代がみな順当に人生を進めると、ゲームに対する興味が失せてしまったようだ。

ゲームに対する興味の消失は、自動的に、私との縁の消失をも意味した。

あなたにとってのシェアハウスが、私にとってはゲームだった。

あなたという最前線があったから、私は吞気にやっていられた。

だが、あなたは、とうとう、前線の後退を余儀なくされたらしい。

とうとう、私も、年貢の納め時らしい。

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