2024-05-26

程度に差はあれど生みの親って存在自体が毒じゃね?

たまに毒親叩きする人を叩く人を見るので、ふと毒親の反対があるとすれば何だろう?と考えた。

そこで、便宜上「薬親」という造語を作った。

そう考えると、明らかに度を超える毒親の例は思い付くんだけど、薬親はよくわからないんだよな。

度を超える毒親というのは、もはや親というよりも人として逸脱していて、結果的に親子という関係性にその影響が強く出ているから、「毒親」という言葉がここまで広まったんだと思う。

しかし「薬親」があるとするのならば、要はその逆で、子供が間違ったことをすれば厳しく諭したり、何かしたいこと(真っ当なことに限る)があれば快く応援したりするということだろうか?

経済的にも精神的にも)

ただ、正直そんなのは子供性質にもよらね?と私は思う。

悪いことの場合とき教師警察、あるいはよいことの場合はよほど優秀ならば第三者機関がその役割を担うこともあるだろう。

(例として全然違うかもしれないが、成長ホルモンの欠乏症だったメッシサッカーの才能を買われてバルセロナがその治療費負担したみたいな話。)

そこまで「親」風情が子供をどうこうできるほど、案外子供は親だけの所有物ではないと思う。

自分は反出生ではないが、生みの親である以上は、多少子供スペックや育てる環境に差はあれど、この世に同意してもらって生まれてもらったわけではないというのは単なる事実として同意する。

それを悪とするならば、遠い昔に今のXで見た、「生んでいる以上は毒親猛毒しかいない」みたいな意見に頷いてしまう。

いわゆる世間毒親と言われているのは、この猛毒親だろうな。

そちらがひどすぎてそれ以外の親が美化されているだけだと思う。

それでいて、無理やり「薬親」を定義するならば、それこそ養子を引き取って普通に育てている人たちくらいしか思い付かないわ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん