つくづく女性差別を生まれついての身体的特徴に基づく差別として語って来なかった先人の罪は重いな…と思う。
女は女になるんじゃない。女に生まれるんだよ。
妊娠出産するから、専ら家事育児を担うから、名字を変えるから女なんじゃない。そんなものは女性の特徴として何一つ本質的なものではない。
何故女性について語るとき、生理やPMS、更年期、背の低さや腕力の弱さ体力の無さといった、生まれながらにして備わっている特徴を基準にして語らなかったのか。
何故あくまで当人の選択の結果生じたオプションでしかない妊娠出産や、さらに各家庭内の分担の問題でしかない家事育児を基準として語るのか。
本当に、ただの人間としての女は何処までも置き去りにされている。
女性の労働問題を語るとき、いつもいつも妊娠出産育児がある事にして語られる事で置き去りにされているのは、女性個人の身体能力の低さ。
本当は、妊婦でなくとも子持ちでなくとも、
今の最低限となっている9時間拘束の労働時間は女に向いているのか疑問を呈すべきなのに
男が長時間労働自慢をするのに対して当の女達も家庭内で無償労働しているからといって張り合うばかりで
そもそも女は男に比べて体力が無いという単純な事実を無視してくれる。
一度女から妊娠出産の要素を取り除き、シンプルに、毎月大量出血する身体の小さな身体障害者として考えてみたらどうなんだろうか。