この記事
読んでる途中までは「既存の技術を組み合わせて低コスト化に成功とは素晴らしい。ホームドア設置のハードルが下がったなあ」と感心して見てた。
後半には、それでもなおホームドア設置にあたっての課題があることにも触れており、バランスの取れた記事になっていると感じた。
だが最後の段落で今までの感心を吹き飛ばすほどイラっとした。以下はその引用。
東京視覚障害者協会(豊島区)の滝修会長(64)は「ホームドアのない駅は、欄干のない橋のようなものだ」と指摘する。自身も線路に落ちた経験が何度もあるという。「慎重に歩いていても、方向や距離を間違えると落ちてしまう。物理的に落ちる心配のないホームドアの設置が進んでほしい」と願う。
自分の実家の最寄り駅はホームドアこそないものの、開業から100年近く経ち、今では一日当たりの乗降人数が1~2万人ほどある地域の足の要である。
その駅を十把一絡げに「欄干のない橋」呼ばわりか。
「欄干のない橋のようなもの」という発言は危険性を強調したかったのだろうが、自分からすると「あるべきものがない、劣ったもの」という中傷発言としか思えない。
東京視覚障害者協会(豊島区)の滝修会長(64)は自身も線路に落ちた経験が何度もあるという。「慎重に歩いていても、方向や距離を間違えると落ちてしまう。物理的に落ちる心配のないホームドアの設置が進んでほしい」と願う。
記事にある「ホームドアのない駅は、~」が、東京新聞が会長の発言を要約して作文したものなのか、会長の発言をそのまま載せたものなのかは分からない。
それ欄干のない橋に対する中傷発言ですよね 欄干のない橋はいっぱいありますよ
あっお気持ち表明だ!繊細ヤクザ!繊細ヤクザ!
自分からすると「あるべきものがない、劣ったもの」という中傷発言としか思えない。 ゲェジのお気持ちにまで配慮するのは無理やで