「アウティング」って、LBGTQ+関連で使われる言葉のようだけど、この場ではそれを少し拡大して使うね。
この使用方法を不快に思う人もいると思いますが、この場だけなのでちょこーっとご譲歩いただけるとありがたく思います。
私は、ジャニーズの性的虐待を「裁判で事実という判決が出ているから」を根拠の軸に「あった」と思っている立場。
そんで、前社長が亡くなった時に裁判を含めそのことに一切触れなかったことをおかしなことだと思っている。
マイケル・ジャクソンが亡くなった時には触れたのに、前社長の時には触れなかったのはおかしいだろ、と。
で、この度、BBCのドキュメントがあったり、顔出しで話をする人も現れて、事務所もコメントを出した。
なんかふわっとした内容で、そのことも批判されていて、私も「いや、もうちょっとなんとかならんか」と思った。
けど、事務所が「企業」として出せるコメントは今のところアレが限界だったのかな、とちょっと考えたりもした。
というのも、冒頭の「アウティング」の拡大した使用をする宣言につながるんだけど。
現在、ジャニーズのタレントとして活躍している人、ジャニーズを離れてタレントとして活躍している人、ジャニーズから離れて芸能界からも離れて暮らしている人(いわば一般人)…。
それらすべての人たちが「自分にもあった」と公にしたがっているのだろうか?というと、違うと思う。
事務所側が「ありました。すみませんでした」と言ってしまうと、公開したくない人たちに対して「アウティング」行為になる可能性もあるのかな?と。
実際には被害にあわなかったのに「じゃぁ、あの人もされたんだ…」という目で見られる人も出てくるかもしれない。
(トータルでどれくらいの少年がいたのかわからないけど、すべての人が必ず一回は…というのはいろいろ限界があるだろうから、難を逃れた人もいるんじゃないかな?と思うんだけど…どうなんだろ?)
事務所が「あった」と認めるためには、すでに公にしている人に対して個別に「ありました」と認める方法もある。
でも、今まであった疑惑の数々、実際に裁判で判決が出ているとうことも踏まえると、個別の事例を認めることは全体を認めることにつながりかねないよな、と。
本当に浄化するためには、事務所が「ありました」って言うのが一番だとは思うんだけど、「言わないで」と思っている人もたくさんいるんだろうと考えると胃がきゅっとなる。
認めるには遅すぎたのかな。名も顔も知られている人たちの被害が多すぎて。
そういう意味でも、とてもとても、罪深いことだと思う。