2023-02-10

永田町に「議論」はなく、「持論」が会議出席人数だけ漂っている

日本には自由があるので何言ってもいい。「五千兆円ほしい。月を家に飾りたい」なんて持論があっていい。口にしても相手にされないだけだ。

建設的な議論の例を示す。そんなもの30年生きてきて一度も見かけたことがないので想像だ。間違ってたら教えてほしい。

増田お金ほしいな。月が綺麗だな。)

減田(予算がない。月はそこそこキレイかも。)

望遠鏡の購入検討

増「月を見るための望遠鏡がほしいです。なので100万円ほしいです。」

減「高い!月は大きいから安い望遠鏡でもよく見えるんじゃない?」

増「そうですね。この10万円のモデルでもいいや。」

望遠鏡予算の意義

減「そもそもお前が月見ても他人は得しないぞ」

増「地域の人にも見せます。みんな月を見れてハッピー

減「いいじゃん」

運営費

増「あ、でも外寒いから防寒費と食費で月2万ほしい。月に8回くらい月見会やるんで」

減「食費は月見してなくてもかかるから個人負担して。防寒費の内訳は?」

増「ホッカイロ1万、コーヒー5千」

減「コーヒー嗜好品だろ。1万な」

増「はい(あ、コート買いたい。けど怒られそうだから個人で買おう)」


みたいなさ、両側から調整する感じなんじゃないの?

予算が絡む議論であれば、互いに見積もりと不備の指摘をし合う感じ。

例えば原発ゼロって気持ちは分かるんだけどその分の負担どこにかけるの?火発増やそっか?工業中心に経済死にかけるけど?

って問に全然答えられてなくて議席の多いやつが決めたベストミックスがそのまま通ってる。

(暗にゼロ派の反発を避けるために原発比率を落としたベストミックスを出してる可能性がなくもない。けど公開された議論を経てないか健全じゃない。)

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