故人の言動を学習させたAIでSNSを運営させ、ネットに転生したような幻想を与えるいわゆるAI葬は依存性が大変強く問題があるのだが、体験した遺族の歓迎姿勢からなし崩しになってしまっている。
これにネットで急速に発展した反出生主義の人たちが安楽死運動を盛り上げる中、「自身のAI化によるネット世界への逃避」を見つけてしまう可能性が大いに懸念される。自分を学習させたAIをSNS上に残し、肉体の方は「処分」してしまう、常識的に言えば命を粗末にする行為に他ならないが、ロボットやプログラムの生命権利を主張するギーク達により一種の擬人化として捉えられ、支持されてしまっているのが現状だ。この先にありうる最悪の事態は、三者の相互作用により徐々にできつつあるデジタル宗教めいた死生観の一般化であり、「貧困者はネットへ行け」という社会と政府一体の主張が人々を無辜の死へと追いやってしまう時代が来てしまうかもしれない、という事である。