ファンがアイドル(アイドル以外でもいい)を推すことを指して「どうせ数年後には別のアイドルに“一生推す”って言ってるよ」とか、
アイドルがファンに「いつもありがとう」とか「愛してる」とか言うのを“営業”だとか、
そういうのよく言われる(ファン自身ですら推しのやっていることは「仕事」だとか言う)と思うんですけど、そういうのかなしくないですか。
私たちはもっと、ほんとうにお互い感謝して尊敬して愛し合っている間柄だと言ってもいいんじゃないですか。
“それ”が永遠かどうかなんて誰にもわからなくて、証明することなんて不可能だから、だからせめて「今この瞬間に永遠を感じているこの気持ちはほんとうなんだ」って、言ってもいいんじゃないですか。
あるいはそれが“永遠”だからといって、四六時中推しの活動を追っていなければならないとかグッズをすべて手に入れなければならないとか、推しのことをすべて知っていなければならないとか、そういうことはなくて。
どれだけ好きで一生推すとか真実の愛だとか心底から思っていたとしても、“私”と“推し”は別の人間なので、時には離れたり遠くで見守ったりしながら、それぞれの人生を尊重しながら、愛し合っていきたい。
常にそばにいなくても、常に“推し活”していなくても、愛する気持ちがなくなるわけじゃないとお互いを信じたい。あるいは自分自身を信じたい。
大体、永遠の愛であるかどうかを事前に知れるのなら、この世に離婚や別れ話なんて存在しないし…どうしてそんな不可能を要求するんですか。
ファンだって最初から担降りや推し変するつもりで推しを推しているわけないんですよ。
あらゆる人間関係は持続させるための努力が不可欠で、何もせずにそのままでいられるわけがない。
だから愛しすぎて周りが見えなくなって、周りだけでなくすぐ目の前のことさえも見えなくなって、“私”と“推し”が別の人間であることを忘れてしまうその前に、一定の距離を保つことも必要ではないですか。引力のように斥力のように。星のようにくっついたり離れたりしながら、一人ひとりが持つ銀河を愛していきたい。
これは私がBTSの“Magic Shop”という曲の「君の中にある銀河」という歌詞がとても好きだという話です(そんな話でしたか?)