2022-01-27

謝辞

院試から修論の完成に至るまで私を静かに支えてくれたある市販薬に、この場を借りて感謝申し上げる。心情を言語化して他者に伝えることが不得手な私にとって、最大の「理解」者であった。

私は「かわいそう」ではない。裕福ではないが、食うに困ることはない。留年するほど成績が悪いわけでもない。就職も決まっている。友人も恋人もいないが、このことについて思い悩むことはない。趣味も特技もないが、たいていの人はそうだろう。病気障害に悩まされているわけでもない。私は「かわいそう」な人間ではなかったが、苦しみはあった。あえていうなら、自分自分の思い通りにならないことが苦しかった。思い通りに話すことができない。思い通りに書くことができない。思い通りにふるまうことができない。理想が高すぎたのかもしれない。伝わらなくてもよい。あなたに伝わらなくてもよいのだ。共感なんていらない。これを飲めば楽になる。なにも解決しなくても、苦しみから距離をとることはできる。医者にかかる必要もない。

これを飲むと勉強がはかどるという人もいるようだが、私にはそのような効き方はしなかった。とにかくぼんやりとする。といっても、お酒を飲んだときの酔い方とは少し違うのだ。これも言い表すのが難しい。お酒よりも緩やかなのだ制御できる程度の眠気が現れ、ちょうど手を動かして作業できるだけの意識けが残る。苦しみはなくなる。インターネットを飛び交う罵詈雑言を見ても心は穏やかなまま。のろのろと作業を進める。苦しみを遠くに追いやって、愚にもつかない原稿を生みだして、そして昏々と眠る。それでよいのだ。それ以上の何が望めるというのか。

生きる意味はない。だからなんだというのか。意味があろうとなかろうと生きているという事実に変わりはない。ならば少しでも楽に生きたい。希死念慮よりはるかに前向きな気持ちだ。この気持ちを支えてくれた小さな粒に感謝する。

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