勿論現状はそうなっているし、これからもそうあるべきだと思っている。
産みたい人だけが産み育てればいいし、その結果社会自体が立ち行かなくなったり滅びるとしても、それは仕方のないことだろう。
少子化対策は存分にやればよい。その上で出生数が上向けば、社会にとっては万々歳だし、大した効果がなくてもそこはそれ。人間の自由と尊厳を尊重した結果滅びても悔やむ必要は何もない。
管理された家畜としての生ではなく、自由な人間としての死を選ぶ。多分みんなそう思ってるから、先進諸国は軒並少子化なんだろう。
人間の『自由』は、こと気候変動対策を始めとした環境問題に対しては適用されないらしい。猫も杓子も環境配慮にSDGs。いやそれ自体は別に良い。何たって人間は自由だからね。生きたいと思うのもまた人間らしさなんだろう。
問題は環境問題への対応が、半ば強制力を伴って実行されようとしている点だ。化石燃料メインで作られた製品の不買だとか、石油関連会社をデモで封鎖だとかの動きが世界的に起こっているらしい。
要は環境に配慮しない者を、社会の爪弾き者にしようという風潮である。
少子化問題では許される自由が、環境問題では許されないのは何故か。(と言うよりは、少子化問題での禁じ手が何故環境問題では許されるのか)
少子化問題も環境問題も、そのまま進めば現状の社会の維持が難しくなる、という点では同じ様な問題に思える。
少子化への対策として、"いい歳して子供を持たない者を社会の爪弾き者として扱う"みたいな政策をとった国ってあるのだろうか?(ネット上ではそういった意見も見たことないではないけど)
大体は子育て支援の拡充とか、税制優遇とか、子供を『持つ者』への優遇措置が主だと思うんだけど。
環境対策もそういう"アメ"メインの政策に出来ないんだろうか?
>人間の『自由』は、こと気候変動対策を始めとした環境問題に対しては適用されないらしい。 この「こと」って、どういう意味なん?
考えてみたけど何だろうね。 「こと○○においては~」というときに使う『こと』だけど、○○を強調したいときに使う言い回しなのかな。
アメあるやん 企業のイメージアップとか環境対策に取り組んでる企業への融資や投資を優遇するとか