近年、世界中でLGBTや女性への差別が問題視され、差別を無くそうと取り組みが行われている。
中心的な取り組みとしては「差別的思想を無くす」ことが挙げられるだろう。
だが、その取り組みが間違っていると私は思う。
そもそも差別の問題点は、差別によって被害を受ける人がいることだ。
有名な被害の例と言えば、いじめられてしまうだとか、就職に不利になってしまうだとかが挙げられる。
この被害にはどちらも共通して、直接的に何らかの被害を加えた加害者がいる。
今回の例で言えばいじめた人間や能力で判断しなかった面接官とか。
この2人だけを変えればいいという話ではない。
例以外にも様々な被害を受けている人間がいて、誰もがその加害者になる可能性があるのだ。
だからと言って、変える必要があることは差別的思想だと、私は思わない。
それは権利としても認められているし、だからこそLGBTの方々や女性が声をあげることが出来ている。
つまり、思想を表に出すかどうかは、自分でコントロール出来ることなのだ。
なら、必要な取り組みは、差別的思想を無くすことではなく、相手の事情を理解した上で、自身の思想を表に出しても相手が傷つかないか、自身の思想を優先して判断してよい事柄なのかを判断できるように意識する、「意識改革」では無いだろうか。
思想の弾圧も時には必要かもしれないが、LGBTの方々や女性の思想を押し付けてしまうという現状が許されて良いはずもない。
「差別的思想を無くす」 というのは、 差別的な思想を表に出すな。 差別するならこっそりバレないようにやってくれ。 ということだよ。