弱者男性はフェミニストの反対ではない。
弱者男性はよくある理想と才能のミスマッチである。
↑こういうのの、バリエーションのひとつ。
「弱者男性」という言葉は、こうした実態を表現できてはいない。
弱者男性はなにかになりたいが、なんらかの才能がないことでなることができないのだ。
弱者男性はなにになりたいのか?
「弱者男性」が「理想の男」としているのは「サムライ」である。
これはインターネットサーフィンすれば自明のこと。
多くのインターネットユーザーに対しては、改めて説明するまでもなかろう。
弱者男性にとって理想の男性とはサムライだ。
しかし彼らはサムライになることができない。
なぜ、自称「弱者男性」が「モテ」にこだわるのか?
サムライにとって一番大事なのはお家を継ぐということ。
非モテであるということはお家断絶と同義である。
サムライにとって到底許されることではない。
弱者男性は本当にはサムライになりたかった。
サムライになりたいのに弱いことでなれないのだ。
いや正確に言えば強い弱いじゃなく時代とのミスマッチだろう。
サムライの価値観と現代人の価値観のミスマッチである。
弱者男性を弱者男性と呼ぶのは物事の本質を捉え損ねている。
「サムライワナビ」と呼ぶべきであろう。
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