2021-04-08

弱者男性」を救うべきではない理由

弱者男性」ってサイコパスみたいなもんだよな。実際、サイコパスもいるんだろう。

共感」というもの理解できるけど自分には共感性は持ち合わせてないから、相手の哀れみとか同情をいくらでもカツアゲできる。

ちょっとでも「かわいそう」だと思ったらもうおしまい。「お前、今かわいそうだと思ったな?俺がかわいそうならお前なんで救おうとしないんだ?俺を救わないお前は偽善者だ」といくらもつけこまれる。

典型的ヤクザ手法認知的不協和に陥ったら生理的に解消しようとしてしまうから、そうなったらもう洗脳の始まりだよ。

人間はどうしても一貫性を守ろうとする心理的な働きがあるのだけれども、「あれ?なんか自分のいってることがしっくりこないな」と感じたら、その小さな矛盾とか間違いを認めないことで守れる価値と払うコストを考えるべき。

前に、アメリカリベラル主義者大統領選挙後にトランプ主義者理解しようとトランプ主義者集会に参加し続け四年間付き合った結果、「トランプ主義者理解しようとする試みは全く無駄だった。すべきではない」という結論コラムを書いていたけど、それと一緒。

リベラルの「弱者男性理解しよう」という本当に何の利益もなく損害ばかりが残る地獄。全く見ないことにして、一切を無とするべき。

  • 弱者だから救うとか腰抜かしたこと言っているからダメなんだよ。

  • 完全同意 あらゆる連帯から弱者男性だけは排除すべき

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