少し真面目に考えてみたい。
結論から言うと、一般に「非モテは「障害」の概念とは相いれない」と考えられている、と思う。
そう考えられている理由は、以下のような点ではないでしょうか。
・「日常生活・社会生活における制限」という障害の概念に、広く当てはまるものではない
=『確かに生きづらさはあるだろうけど、それ言ってたらなんでも障害になっちゃう』
・仮に制限があったとして、本人の取り組みで解消されうる可能性が十分にありうる
=『話し方とか身のこなしに原因があるとしたら、皆多かれ少なかれ気をつけて直してるんだから、直るはずだよね』
LGBTに対する数十年前の理解だって上のように思われてたはずで、ここ数十年の努力でLGBTの生きづらさが可視化され、また誤解が解けたことで人権の問題として解決が図られるようになってきた。
それと同じ構図じゃないかと思ってる。
世の中をポジティブに考えると、「生きづらさの問題が徐々に解決してきたから、次は非モテの改善の番」という風になるかもしれない。
一方で、上に挙げた「一般的な反応」に対して、非モテとしてきちんと回答が出せずにいるような気がする。
LGBTの場合も「直そうと思えば直るでしょ」という点が誤解だったわけですが。
そこをもう少しきちんと説明する必要があって、共感が得られるところまで持っていく必要があるのではないでしょうか。
実は逆の視点で、やっぱり「直せる」はずなのかも。
そうだたとしたら、「障害」に仮託するのではなく、「失業」に類するものと考えて解決を図るべきなのかもしれない。
愛がそんなに素晴らしくて結婚と出産がそんなに望ましいものだと言うのなら非モテでキモくて愛も恋も結婚も出産も手に入らない俺みたいな人間は障害者ということにして税金とか医...
少し真面目に考えてみたい。 結論から言うと、一般に「非モテは「障害」の概念とは相いれない」と考えられている、と思う。 そう考えられている理由は、以下のような点ではないで...
友情で結婚すりゃいいじゃん
じゃあ結婚してくれ 俺と増田の仲だろ?
ちょっと待った!!増田!!!俺といこう!!!!
重婚はちょっとなー 生殖細胞だけならわけてあげられるかもしれんけど