それはもう、子供の頃から全くちょっともできない。画面操作とルールを覚えるのが面倒臭くて我慢できない。1円も貰えないのにこんなことをやるなんて苦痛だとすら思う。コンピューターゲームに限らず、トランプやオセロ、サイコロを転がすすごろく、対戦スポーツなんかも楽しめない。おそらくゲームに介在するコミュニケーションのすべてが面倒なのだ。年下相手なら手加減してやらねばならず、同年代なら手を抜いてはならず、勝っても負けても面倒くさい。この世にゲームなどなければもっと平和なのではないかと思うくらいだが、巷ではお金を払ってまでゲームする人、ゲームに癒される人、ゲームを取られたら苦しむ人までいるらしい。不思議なことだ。
パズルゲームならまだやれるが、やっぱり続かない。面倒臭い。「1円も貰えないのに~」にまた帰結する。ゲーム実況配信などは人気が出ればお金になるのだろうから、ゲームが上手い人は皆アレをやればいいのではないかと思う。これほど「面倒くさい」と連呼する割に実況配信を見るのは嫌いじゃないので、我ながらよくわからない。小学生の頃、兄や兄の友達がゲームしているのを後ろで見ていてやらせてほしいとも思わなかったが、あの感覚に似ているのかもしれない。
「漫画で読む〇〇」なども私にはわかりにくい。文章で説明してくれた方が有難い。RPGもストーリーだけは知りたい。でも選択肢を選ぶのは面倒臭い。本でほしい。私の頭がどうなっているのか、一度分析してもらいたい気がする。私の脳内に出ている何らかの物質が、ゲーム依存症患者の症状抑制に効果のあることが期待、されはしないだろうけど。みんなどうしてそこまでゲームを楽しめるのだろう。5歳の娘ですらゲームに夢中なのに、なぜ私には無理なんだろう。不思議でならない。