ニュースで女の子が死んだ話が流れたら、世の中の人の大半はそれを知って悲しむ。悲しむって言うのはまあネガティブ方面の感動で、感動ってのはお金になるんですよね。
フィクションにおいての死も(300ページくらいで終わる文庫本でよくありますね)どれだけの人を感動させただろうか。
少女ではなくても若い女性、特に若いご夫人の死なんかも感動を与えてくれますねえ。遺影を持った遺族の姿がまた感動を世間に与えてくれます。
現実にしてもフィクションにしてもみんな女の子が死んだことによって感動したいんですよ。だからこれからフィクションを創造する人たちは、とにかく女の子をぶっ殺せばいいと思いますよ。
残虐なことをやって憤りを感じさせるのもよし、苦しみに苦しみ抜いて思いを伝えて情緒ある涙を誘うのもよし、あるいは誰かのために自己犠牲をする高貴なものを描くのもよし。
男? 少年とか有名人だったら少しは感動を与えてくれるけど、ま、お金に繋がる人は稀ですね。
誰にも迷惑にならずに死にたいのなら、未婚の有名ではない成人男性を三人ぶっ殺せば静かに死刑判決が出て人権団体も一切抗議せずに死刑執行されると思いますよ。なにせ感動も与えないしお金も儲けられないので。
殺人は迷惑なこと? いやいや未婚で冴えない成人男性なんて少なくとも日本では一番代替が効く存在なんだから関係ないでしょう。
人間魚雷は漫画化されてるがどこに女がいたんだよ