シュレディンガーの猫というのは、大雑把に言うと猫の入った箱に50%の確率で毒ガスを噴射するボタンがあって、そのボタンを押したときに箱の中の猫はどうなっているかという実験。
その答えは、蓋を開けてみるまで50%の確率で生きていて50%の確率で死んでいるというもの。
面白いのは、それが「そういう考え方」なのではなくて、それこそが「真実」だという点にある。
二重スリットの実験でもわかるように、世界というのは観測されるまで決定されないということこそが真理らしい。
にわかに信じられる話でもないし、未だにちゃんと理解できている話ではないけど、この「観測されるまでは決定されない」という考え方にとても衝撃を受けた。
それでどうなったかというと、物事全てを決めつけることをしなくなった。
いま世の中に起きていることを俯瞰して、大体何%くらい真実で、何%くらい嘘かを考えるようになった。
例えば陰謀論的なものがあるとすると、その理論そのものを正誤判定するというよりは、その周辺にある情報をもとに何%くらい真実だなという判断をするようになった感じだ。
言い換えると、自分の視界の外は常にもやっとした霧でうまっていて、全ての出来事は確率でしか存在していない。そこに目を向けたときにはじめて事実が決定されて、それまでは絶対に事実を知ることはできない、という感じの理解だ。
そうすると、何かを決定づけること自体が無意味だという考えになり、人に話をするときにも確率に関わる情報しか話をしないようになった。
自分の意見を求められれば、どれくらいの確率かは答える。しかし断定することは滅多に無い。
自分を取り囲む情報が変化すれば、当然確率も変化するし、そもそも確率でしか物事をとらえないので変化にもすぐに対応できる。
そういう話し方にやきもきする人もいるのは確かだが、そういう人とは反りが合わないのだろうとこちらからは気にしないことにしている。
それで割と行きていく上でのバランス感みたいなものが保たれているので、情報過多の世の中を生きていく上では割と大事なことかなと思っている。
シュレディンガーの猫ってそういう話じゃないけど…ネットにはこういうアホアホシュレディンガー解釈があふれているのでお前の頭がポンコツなのかお前が参照した情報がよくなかっ...
2択突きつけられた時に第3の選択肢を見つけ選ぶのは物語の基本