事件の詳細、植松聖死刑囚のひととなり、優性思想について、事件被害者達の視点、障害者本人やその家族と支援者の視点、などなど。
障害者とて人間であり、同年代の仲間達との交流を欲しているし、また、同年代との関わりでしか学べないものがあるということ。そして障害者だって健常者同様、人の縁により助けられたり助けたりするものだということ。
その権利を「善意」の名のもとに剥奪し、障害者を社会から孤立させることは人権侵害である。また、健常者サイドには障害者の隔離によって、「役に立たない人間は要らない」という思想を植え付けてしまう。そういう思想がまかり通る社会は結局誰にとっても生きづらいのではないか?
本書にはそういうことが書かれている。
私自身、先天性の難病があって普通の子供達と離されて「特別扱い」されていた時期もある。また、一つ上の学年と同学年にそれぞれ一人ずつ知的障害者の子がいて、共に通常学級で学んでいた。
子供の世界は残酷だから、「特別扱い」されている子供を集団で叩くことがあるし、障害があっても「特別扱いされない」子供を皆と違うからといって叩くものだ。それを私は実体験として知っている。特別扱いして隔離するのも、特別扱いしないで皆一緒とするのも、どちらも残酷な結果を招くというのはあり得る。
けど、私の実感としては、それでも色んな子供達がまじって一つ所で過ごし学ぶ方が、まだマシだったんじゃないかなあと思う。あいつはああいう奴だから、というユルい認識にそれぞれがちょっとだけ助けられているようなところはあった、たぶん。
問題は労働するとき 下を排除すると 上は楽だってことだな