アランの幸福論の「しあわせですかー」みたいな話は今や新興宗教の代名詞だとは言われてる。
それから、残念だけど、霊感商法が瞑想やヨガやマインドフルネスを餌に人を集めているのも聞く。
起業を煽るが、マーケティングを軽くやっただけであとは威勢の良さや勇気のようなものを煽るだけのオンラインサロンも増えた。
しかし、それらの霊感商法やサロンに入っている人は幸せに見えない。一方で押し付けだけが厳しい。
なんでそんなことになるのか?
だから、問題解決しそうだが、永久に問題解決しない状態を作り出さないとならない。
霊感商法はありもしない不幸を煽り続ける。周りとの同調圧力で逃げれないようにする。起業オンラインサロンは一番楽だな。儲からなければ永久に不幸だし、デフォルトは儲からないものだが。
だから今やもう「よく生きるか」「どのように夢を叶えるか」というのは、ネットと、ネットから見つけた本で見つける時代なんだろうなと思う。そうして行動して、休んで、自分自身で振り返ってしかない。
いわばP(考える)D(やってみる)C(どうかと確認する)A(修正する)のPDCAだ。まあ、役人系でひたすらPが肥大しがちなので、批判は受ける。Pを軽くするということを意識することはひつようだ。そのうえでPDCAしか解はない。
そして、霊感商法と宗教組織の境をはっきりつけることも困難である。宗教の知識というのは本としてその時代その時代の人が書き続けるのと、意識して読むことだけで、宗教組織の役割は終わったのだろうなとも思う。
救ってくれないつうか人は自分で救われるしかねえんだよ 他者から与えられるものは穴を一時的に塞ぐだけ
それはそうだ。だが、よく生きるための「知識」は特に生き方レベルだと、宗教関連者か、誰かの言葉しかない。 科学的調査は、明証をなせるぐらいまで単純化して、分析して、総合と...