2021-01-10

anond:20210110124734

それはそうだ。だが、よく生きるための「知識」は特に生き方レベルだと、宗教関連者か、誰かの言葉しかない。

科学調査は、明証をなせるぐらいまで単純化して、分析して、総合としてまとめて、枚挙として漏れがないかをチェックすることによって行われる。

だけど、生き方個体差が大きいか単純化には向かない。

頑張って統計調査をしようという心理学者もいるが、「我慢ができる子はその後成功する(マシュマロ実験)」という一つを立証するために30年以上の時間をかけ、それでも親の収入関係あるんじゃないか批判されると難しい。

そうすると、誰かの言葉を参考にして、自分生き方に照らし合わせるしかない。その意味で、宗教知識は、自分吟味するという前提はあって良いものは多い。

だが、宗教組織霊感商法とかの蔓延と、信教の自由との兼ね合いを考えると役割を終えてるのではないかと思ったとういことで、この文章を書いた。

記事への反応 -
  • アランの幸福論の「しあわせですかー」みたいな話は今や新興宗教の代名詞だとは言われてる。 それから、残念だけど、霊感商法が瞑想やヨガやマインドフルネスを餌に人を集めている...

    • 救ってくれないつうか人は自分で救われるしかねえんだよ 他者から与えられるものは穴を一時的に塞ぐだけ

      • それはそうだ。だが、よく生きるための「知識」は特に生き方レベルだと、宗教関連者か、誰かの言葉しかない。 科学的調査は、明証をなせるぐらいまで単純化して、分析して、総合と...

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