日本という社会だからなのかはわからないが、自分のやっていることに対して一切何のフィードバックを受けないという前提の人は結構いる。
間違っても指摘されない
気に入らないことがあっても注意されない
うまくできても褒められない
どんなに慕われていても思いを伝えられない
要は、褒められても、注意されても、戸惑うしかない人、というのは結構いる。
え、何でこの人自分のこと褒めてるの?
え、何でこの人自分に注意してるの?
何もかもが攻撃に聞こえる人。
褒めていることすら戸惑いにしかならない人。
こういう人たちに何かを行った時に取りうるリアクションは
いやいや自分なんかそんな大したもんじゃないですよ、という謙遜のつもりの自己卑下
いかに自分が悪くないかをどんなでたらめなことを交えたとしてもとにかく言い切らねばと言うパニック
フリーズして何も言えなくなる
泣き出す
だがそういう人たちは子供の頃からフィードバックの後には何かしらの攻撃が来るとしつけられている、親に。
例えば、子供の頃に何か褒められたとする、子供なので素直に喜ぶ、調子に乗るなと怒られる。
例えば、子供の頃になにか達成したと親に報告する、親は何だその程度で喜んでと否定する。
例えば、何かミスを犯したとする、親は必要以上に、執拗にその子供を叱る、暴力を振るう。
何でこういう親がいるのかは知らないが、その親にとって子供はおもちゃでしかない。
この子供がそのまま大人になる。幼児期にはもうこういうパターンが刷り込まれているので、何もできない。むしろ人からのフィードバックが恐ろしいもの、戸惑いになるものしかなくなる。
結局自分に対する攻撃、という風に解釈したほうが心理的に自然になる。
そして本人はこれこそが論理的に正しいあるべきコミュニケーションだと思っているので、指摘すると秒で切れる。ブクマのコメント見てると、たまにものすごい距離を取って客観的に、斜に構えて物を言う人がいるが、そういう人たちの中にはそういう傾向がある人もいるだろう。
こういう人たちにとっての大好物はルールだ。ルールに従っている限り正義だ。ルールを逸脱すれば悪だ。自分たちがやられたことは人にもやりたい。意識していようといまいとやりたい。自分にとって一番自然な形に落ち着きたい
俺は昔良く褒めてたけど、日本にはそういう文化がないし、やってもめんどくさいこと多いんで適当に距離取ることにしたし、多分多くの日本人はそっちのがいいんだろうなと気づいた...
こういう投稿に対して「日本語で文章が書けてすごいね!」とか言われたら嫌味だと思うのは日本に限らず世界共通だし Googleはやっぱり変人が集まってて特殊なだけなんじゃ
死ねって叫び声が職場で飛び交うのが普通な社会で、褒めるフィードバックとか考えられるわけがない。