2020-08-12

展示できるような一本グソが出てしまった話

便器を見ながら途方に暮れてしまうような一本グソが出る経験したことのある者が、果たしてどれだけいるのだろうか?

意外とみんな、人生で一度や二度ぐらいはあるのかもしれないが、一つ断言できるのは、そういう体験比較的若年のうちに起こるものだということだ。なぜかというと、基本的に齢を重ねればストレスは溜まる、運動は不足する、酒は飲むはおかしものは食うわで、見事な一本グソを生成するには体内のコンディションは過酷になる一方のはずだからだ。

そんな折、きたない話で大変すまないが、先日俺は30過ぎで大変な一本グソを世に送り出してしまった。

便器の前に立ちながら、俺はしばらく呆然としてしまった。なんというか、そういう沈黙を強いる存在感があった。

うんこはいくつか原則があると思っている。

食ったもの以外は出てこないということと、そういう形状になるのにおおよその心当たりが毎回あるということだ。

体調がよくなかったり、好物だからって辛すぎるものを食べたりすると、結果としてうんこが荒れる。俺らは毎回、体から出てきたものに対して、だいたい腑に落ちるものがあるはずだと思う。

ところが、このときの俺にはここまでの一本グソをする予感というか、脈絡みたいなものがまったくなかった。

ゆらゆら帝国というバンドに、『空洞です』というアルバムがある。

『空洞です』はゆら帝最後アルバムだ。なぜかというと、『空洞です』によって、バンドが「完成してしまった」という、なんというか、もう何とも言いようがない心象に本人たちが達したからだ。

もちろん、バンドはそういうものを送り出そうとして毎回苦心してはいたのだろうが、(これは俺の想像に過ぎないけど)どこかで、そういうものが出来上がらないのを、予測してもいたんじゃないだろうか。

ところが、それが出てきてしまった。

このエピソードを踏まえながら聴く『空洞です』はすごい。ゆらゆら帝国以外からは出てこない楽曲なのはもちろんだけど、バンドがその後何を目指して変化したとしても、未来にわたってその答えがすでにここに示されてしまっているように聴こえる。

めちゃめちゃ怖くないか

俺はこのとき自分うんこに対して似たようなものを感じた。

俺の人生最良のうんこはこのとき、なんの前触れもなく出てきてしまったし、おそらく今後、もっと優れたうんこが出てくることはないと思う。

昨日口にしたもの毎日翌日出す、という生物的な側面が俺という人間の何%なのか知らないが、この点において俺は完成してしまったのだ。

これから毎日は、すべてあのうんこと比べられ必然的に敗れていくことの繰り返しになるのだ。

老成したアーティストには、昔日のマスターピースに挑んでこっぴどく失敗したり、そこそこいい勝負をしたりして長らえていくフェーズがいつか訪れるけど、俺の身にそんなことが起きるとは思わなかった。

いま『空洞です』を聴きながらこれを書いてる。本当にいいアルバムだと思う。

  • 俺リアルで巻きグソ出た事あるよ。

  • おすすめエントリに「うんちを食べ続けて1年が経ちました」って日記が出てきてた もちろん読まなかった

  • 全体的に増田らしくもありつつ今までの糞文学とは一線を画す素晴らしい表現力。しかしマイナーロックバンドをフィーチャーしすぎており、「音楽通な自分」アピール感、初カキコど...

  • こないだ俺が出した感動的な三段巻きグソも増田のうんこの隣に展示してほしい。 ゆらゆら帝国聴いてみるね

  • 冬の一本グソはいい 屹立して水面上にある部分から うっすら湯気が立ち登る様は 夏の惰弱なそれよりも趣に差がある。 一本グソは冬なのだ。

  • ガイガイガーイ

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