与党である不自由民主党はなんとか支持率を保っていた。独自の巧妙な補助金給付審査制度(ほとんどの審査会は全て数人のみの議員で出来ていた)を利用し、支持率維持のために補助金支給を繰り返していた。大企業は、政府の株買い支え政策や補助金支給政策の消失を恐れ、なかなか野党に政権を取らせなかった。
国民も不自由民主党の支持者が多かった…というより、Baramakiと呼ばれたこれらの金が特別給付金として与えられることを期待していた。ただ国民は給付金を受けるためには、それなりに内閣支持率を下げなければならなかった。率を下げ過ぎて野党が政権を取れば給付金もなくなりそうなので、国民は巧妙に計算しなければならなかった。不自由民主党のほうはこの点、兵記者クラブという団体に偽の政権支持率を報じさせることで対抗していた。
ところがあるとき、兵記者クラブによる支持率捏造と、国民給付金の支給妨害が暴露された。国民の怒りはクラブに向かい、都市部では、少なくない数の兵記者や所属テレビ局や法曹団体の看板が、現実でまたはSNS上でトマトや卵やペンキを投げつけられたり、汚されて晒し者にされたりした(こうしたデモは歴史上の事件名をもじって白虹作戦や石看板ペンキ作戦と呼ばれていたようである)。