2020-04-04

生殺与奪

女性アーティストが六時間自分身体を観客に任せた記事を読んで思い出した

私も似たような気持ちになったときがあった

それは他人の財布を拾ったときである

中学生ときだった。

地面に財布が落ちてて、キョロキョロしたら周りに誰もおらず私は財布を拾ってコートポケットにいれた。高揚感があってドキドキした。私は財布の中身をこっそり抜いてお金を奪うこともできる。他人の大切なものを私が持っていることに対する優越

その後、母親と会って「財布を拾ったか交番に行って」といい、警察に行った。

警察官が財布の中身を取り出してみる取り調べみたいなことをして、私にどこで拾ったのかとか色々聞いてきた。財布の中には免許証お金が入っていて、他人の財布の中身を見るという非日常エンタメを楽しんでいた。「自分は今、良いことをしている」という事実にも酔いしれていたんだろう。

財布の中身は大切なものだらけだったので、すぐに落とし主が財布を引きとって、私にお礼をしてくれた。

あのとき他人の大切なもの自分の手元にあり、自分はそれをどうとでもできるという感情はおそらく一生忘れられない

それでも、私は他人意図的危害を加えるということを一生しない。

自分の心を綺麗なものだと、自分普通人間なんだと、自分は良い人間なんだと思っていれば

自分他人を傷つけたという事実自分にとってキツイものになる。人間って別に傷つけようと思ってなくても他人自然に、無意識に傷つけちゃうし。

頭がおかし人間なら他人いくら傷つけようとも罪悪感なんか微塵も感じないが

繊細な人間には「他人の心を傷つけた」という罪悪感は本当にきつい

こんなことを言ってるけど他人の心を踏みにじった経験はある。

でも、できる限り自分は良い人間でいたいんだって自分はまともなんだって信じたい

  • 知能が低い人のポエムってなんとなくエビの尻尾に似てますよね。意味はとくにないです

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