本当に弱い人間にはなんの役にも立たない。
限界まで働かなくても生きていける暇人、他人の話を聞いている余裕のあるような奴らが、理解出来もしない痛みを受け止められると言い張り、結局受け止めきれずに説教を始める地獄の悪夢。
自分に想像すらできない生き辛さがあることを想像すらしていないから簡単にできると思いこむ。
本当の地獄の中で生きる人間達、その多くは言葉そのものが違う世界の中で中国語の部屋を増築し続けなんとか生き抜いている。
そんなものたちとの会話を、趣味だ自己実現だという甘い感情でやってまともに受け止められるはずがない。
感情を満たすために立ち向かい本当に共感を繰り返そうものなら、数多の尖鋭されきった社会不適合な価値観に心を引き裂かれ凶人となる他はあるまい。
金のために、ただ金のためだけにやっていると己に言い聞かせそれを足跡とする以外に、多様化しすぎた壊れた価値観に対して共感しているかのような態度を取り続けてから狂気の園より元の日常へと変えることなど不可能だ。
だが、いのちの電話は金を取らない。
本気で共感などしていない。
だから何度も電話を受け、何度も話を聞き、何度だって戻ってこれる。
本気で相手などしていないから、自分がここにいる理由を指し示す正気へのコンパスを握りしめなくても戻ってこれるレベルでしか相手にしていないから平気なのだ。
知恵袋とかokwaveとかもそうじゃん 上から目線でしたり顔で説明してあげたい人が俺を含めてごまんといる