世界が良くなっているというのは
人間はものすごく客観的に物事を判断できる前提にあるけど、そうではない。
例えば100年前は、食べ物にも困っていたけど、今は困らなくなったという事象は、
客観的に見れば良くなっているのだけど
例えば、100年前は食べ物にも困る状態ならば、お茶碗一杯のご飯でも幸福を感じれたかもしれないが、今はそうではない。
なぜなら、人間は「差分によって」幸福感を感じるように、本能にインプットされているからだ。
今の状態よりもより良いものを求めて、それを手に入れると幸福を感じるようにできている。それが、道具を生み出し、テクノロジーを生み出し、人類を散歩させてきたわけだ。
つまり、ご飯一杯で満足できてたものが、今ではそれでは満足できずに、より美味しいものを求めているわけだ。
客観的に見れば、よくなっているのだが、
それどころか現代はさらに悪くなっている。例えば100年前なら、たらふくご飯を食べれる人がいたとして、食べ物にも困る生活をしている人がいて、両者が交わることはあまりない。地理的な制約があるからだ。
しかし、現代はテクノロジーの進化によって、SNSやらで豊かな生活をしてる人をいつでもどこでも知ることができる。そして、それらと比較して自分の生活に不満を感じるのだ。
人類はここまで進歩してきて、俯瞰してみたらもちろん良くなっている。しかし人間の脳はそう単純にはできていない。
そう、ブータンが最も幸福な国民だと言われているが、彼らは比較できないから幸福なのだ。