言葉の暴力、大多数の暴力で問題を解決できると思っている人が一定数いる。
例えば、煽り運転で最も悲惨な事故を起こした加害者を、コンビニの冷凍庫に入る姿を投稿した若者を、
氷河期世代を作り出した政府を、マイナンバー運用に失敗した行政を非難することで、
あたかもその問題自体が解決されると考えてしまうのだ。恐ろしいのは、いつの間にかそれが個人から集団になって
「こう非難することが求められている。非難すれば問題が解決される」と集団による攻撃が始まることだ。
いわゆる「ネットで私刑」。言葉の暴力(大多数の暴力)をする者は、実際にこれが悪いことだとは思っていない。
なぜなら、問題を非難する声が大きくなれば、問題へのメスが入り、問題が減っているように見えるからだ。
先述した例では、実際に問題が二度と起こらないように警察、コンビニオーナー、行政の対策チームが問題解決に向けて動き、
それを業務として取り組むからこそ解決するものだ。しかし、非難するだけの人間にとっては、
「非難すれば問題が解決する、問題が減っていく」「しかも、非難するだけなら労力は0」というメリットしか感じていない。
結果として、大多数で非難すれば問題が二度と起こらないようになると思う者がネットで溢れかえる結果となってしまった。