問題はまさに
誰か見つけてくれないかな?
の一文に集約されてて、仮に発見者がそれを発見したとして、そのソリューションを(増田を含む)多くの民衆に提供する動機がないでしょ? だって増田は「誰か見つけてくれないかな?」と言うだけで自分が見つける気がない。見つける気がないというのはコストを払う気がないということで、コストが支払われないということは発見者にインセンティブが支払われない。つまり全員が他人を当てにして傍観する社会がここにあるってのが問題の本質だ。
他人の価値ある知見にコストを支払える人(有能)は他人の価値ある知見にコストを支払えるけれど、社会の大半を占める無能は支払いができないんだから、有能のコミュニティには入れない。
近代までの国家論だと、それでも無能な人が消費市場を形成するからこそ有能な人も商売できるんだって話(まあ、これもかなり方便に近いんだが)になってたんだけど、現代においてその消費市場は別に国内じゃなくても構わなくなってきてしまった(この話がGAFAなどにたいする国家の掣肘政策へとつながる)。つまりは、有能な人は有能な人だけのコミュニティ(企業とか)を形成して、発展途上国に知見や財をうるのが一番効率がいいのよ。同国の無能な人ってのは有能な人に寄生するだけの存在なんだから、無視すれば良い。というか、どんな有能でも無能を有能にはなかなかできないので(それが出来るのはお釈迦様とかだ)無視以外できないともいう。こっちのはなしはBIにつながる。BIは捨扶持としての無視のツールだ。
大手は高齢管理職が支配し中小は高齢責任者と技術に疎い客や元請けに低コスト高品質を要求される。 しかも初期契約を越えるような費用の更新は一切認めないし契約重視で労働者は三...
問題はまさに 誰か見つけてくれないかな? の一文に集約されてて、仮に発見者がそれを発見したとして、そのソリューションを(増田を含む)多くの民衆に提供する動機がないでしょ...
改善策なんて広めたら今の無能共が更に生き汚く残ってしまうじゃないか