自分には何もない。素晴らしい家族や友人はいるが、そういうことではなく、能力という視点から見て自分には何もないな、と感じることが多い。所謂、無能なんて揶揄されるような人間だ。
少し前、そういう自分が大嫌いだった。何か一芸がほしい、が口癖で、色々な事に手を出しては、諦めた。わたしには努力する才能もなかった。だって面倒なのだ。本当に何もない。それでもやっぱり何かが欲しくてたまらなくて、手当たり次第にやってみては、面倒でやめた。
ずっとそういう生き方をしてきて、わたしは大学生になった。相変わらず何かがほしかった。手には入らなかった。
大学に入って、自分って思っていたよりも馬鹿なのだなとか、自分には本当に何もないのだなとか、自分ってまともに考える能力すらも欠如しているのだなとか、そういうことをより一層感じるようになった。それでも諦めきれなくて、また懲りもせずに新しいものに飛び付いた。やっぱり上手くいかなくて、すぐにやめた。
少し前に20歳になった。わたしは相変わらず馬鹿だったし、何も持っていなかった。けれど今、何かが欲しいという感情はわたしの中からすっと消えてしまった。20年間、物心ついた頃からずっと何かがほしかった。ピアノが上手い子、英語が話せる子、小さい頃からいろんな人に憧れて、面倒で諦めた。20年間も追い求めて何も手に入らないなら、きっとこの先も手に入ることはないだろうなと思った。だってそもそも努力もしない人間に自分の求めているような何かが手に入るわけなかったのだから。こんな簡単なことに気づかないくらいには、わたしはマヌケだった。
さて、わたしは結局何も得られなかったわけだ。あの頃と変わらず努力は面倒だなぁと思いながら、今日もこうやってベッドでゴロゴロ本を読んだり、増田を見たり、ネットサーフィンしたりして過ごしている。誕生日の直前に買った資格の本は、結局2回開いて終わった。たぶんもう開くこともない。
こんな最低な日々を繰り返しながら、わたしはこんな自分が好きだなと思った。少し前、わたしはこんなマヌケな自分が大嫌いだったのだけど、今少し考えてみると、わたしはやっぱり自分のことがどうしようもなく好きだと思った。
こんな馬鹿が生きていて、申し訳ないなと思うこともある。けれど世の中に役立たずの一人や二人いた所で、誰も困らない。何かを持っている人はわたしの数億倍、下手したら数十億倍くらい存在している。だからたぶん大丈夫。知らんけど。
きっかけがあったわけじゃない。ただ突然、わたしはわたしのことが好きになって、今なんかは本当にもう愛しくてたまらなかったりする。こんなアホ丸出しの増田を書いてしまう自分のこともわたしは大好きだし、これからもそういう風に生きていきたいなぁと思う。
毎日しあわせです。