2018-06-21

人はどうして2つの世界を半々に生きないのか

無言の文化自体は良いと思う。問題は無言の文化のみを過信している存在かなと。

そもそも無言の世界が出来る前は必ず言葉を使ってきた(手紙などは別として)のに今では無言であることに楽を覚えて

言葉で通じ合うことを拒否しているという存在が増えすぎている。

そのくせ、自分のことを分かってくれないとぼやく。分かるわけがないのだ。

無言の世界での感情表現記号文字なのだから「w」で笑いと言われても嘲笑されているのかと思ってしまう人もいる。

そのような世界だけで生きようとして人は精神を病ませる。

大事なのは、無言の世界だけを自身世界とせず、言葉を自ら語る世界をも自身世界とし、

どちらも大事であることを認識することではなかろうか。

私自身、古い人間の1人だがパソコン通信が始まった頃から今後はこれが主流になっていくのだろうなと心踊った。

が、ネットが広まってみるとコミュニケーションを避け、日々他人を徹底的に攻撃する輩だらけになった。

無言の世界弊害だろう。

本来情報世界として、今まで知り得ることが難しかったものを知り得るための大きな辞書のようなものであったのに。

話が飛んでしまったが、人は現実社会と無言の世界を半々程度に生きるようにしたほうが健康的で良い。

どちらも偏ってしまうと生き方が苦しくなる。

anond:20180621141458

記事への反応 -
  • ネットである記事を見てたら「無言の文化の住人は不誠実であり、駆逐されるべき存在」みたいに書かれていた。 かく言う私は無言の文化の住人である。でも、批判する人の言い分はわ...

    • 無言の文化自体は良いと思う。問題は無言の文化のみを過信している存在かなと。 そもそも無言の世界が出来る前は必ず言葉を使ってきた(手紙などは別として)のに今では無言である...

    • 恋人と無言のコミュニケーションを楽しむぐらいなら可愛いもんだけど 公的なとこで明言してないからセーフ理論を振りかざしちゃうとそれはもう件のアメフト監督みたいなクソ野郎に...

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