ネットである記事を見てたら「無言の文化の住人は不誠実であり、駆逐されるべき存在」みたいに書かれていた。
かく言う私は無言の文化の住人である。でも、批判する人の言い分はわかる。1を知って10を知ることを他人に要求するな。自分がやっていることは当然他人もやるべき、という仕事のやり方は間違っている。本当にその通りだと思うし、身につまされる。そうならないように努力はしたいと常々思っている。でも、心根までは変えられない。
無言の文化の住人というのは、才能ある人であれば芸術だったりサブカルチャーの分野で花開く可能性は大いにあると思う。ただ、現代的な経済活動の場に身を置くのであれば致命的に向いていない人材であろう。
なぜ私は無言の文化の住人になってしまったのだろう。もとを辿れば、やはり私が臆病で、卑怯な性格だからだろう。こちらから口を出して、反発されたり、批判されるのが怖い。だから口をつぐむ。トラブルがあって責められたとしても、「だって私は◯◯してくれとか言ってないし」と、言い訳ができる。
日本人には特に無言の文化が蔓延していると言われる。その背景には、日本人に、自己肯定感が低い人の割合が多いことがあるのではないかと思う。無言の文化を駆逐するというのはすなわち日本人全体の自己肯定感を高めるということなのかもしれない。だとすれば大いに結構なことだし、応援したいという気にもなる。
それでも、今いる無言の住人が消えてなくなることは決してない。察してとは言わない。理解してくれとも。ただ、こういう人間も世の中にはいるってことは、たまに思い出してほしいとは思う。
無言の文化自体は良いと思う。問題は無言の文化のみを過信している存在かなと。 そもそも無言の世界が出来る前は必ず言葉を使ってきた(手紙などは別として)のに今では無言である...
恋人と無言のコミュニケーションを楽しむぐらいなら可愛いもんだけど 公的なとこで明言してないからセーフ理論を振りかざしちゃうとそれはもう件のアメフト監督みたいなクソ野郎に...