あの頃、連絡を取り合っては食事をする関係の人がいた。そういった関係を2ヶ月くらい続けていたところだった。
もともと渡された名刺に個人的な連絡をしたのは私の方からであったし、わかりやすく好意を寄せていたのを相手も気づいていたと思う。もう少し個人的なところまで進むのにお互い注意深く距離を測っているような状況だった。
あの日は金曜日で、午後3時前くらいの時間だったから当然それぞれ仕事をしていて、夜になってから互いの無事を確認した。
向かい合って食事をしながら、なんとなく金曜日の話になった時に相手が言った。
いない。
私は東北に家族も知り会いも親戚もいない。行ったことすらない。
だけど違うのだ、そうではないのだ、良くないのだ、だってあそこで被害に遭った人達は全員誰がの知り会いや家族や親戚であり、そういう命がなくなったりしているのだ。
頭と育ちが良い人と思っていたけどなんだかすごくがっかりして、相手に対する興味も失せてしまった。
結局その人とはその後1度会っただけで、結局つきあうようにもならなかったしセックスもしなかった。
今になって思うのは、失望したというのとも少し違って。たぶんあの時私はすごく傷ついたんだと思う。
自分の(及び自分達の)力ではどうしようもない事柄があって、それを自分とその周囲に害がなければそれで良かったと言ってしまう考え方に対して、そして、あんなことがあった数日後にも何事もなかったかのようにいい感じになっている男性と食事をしながら、自分達は何もなくて良かったと言っている状況に対して。
そこに自分が含まれていながら、同時に「関係なくて良かった」と言われた側になったような気持ちになった。
だから怖くなってもうその人との関係性を作れなくなってしまったんだと思う。
でもきっとそういう心理的作用は、自分と相入れない人を排除して近くに置かないという意味では「知り合いが被災者にいなくて良かった」と同じ傾向なのかもしれない。
いまだにわからない。