うんまあ…あの歌で救われる母親って、もうあれしちゃダメ、これしちゃダメを真面目に受け取りすぎて苦しんでる人なんだろうなっては思います。
そして、苦しいけれどそれでもあの歌でもそう言っていた、これだけ我慢してる自分は間違っていないんだって確信するのだと思います。
でも、本当にネイルや服やおかずやたまに行くライブやお出かけやそういったものをお母さんが我慢することが子供の幸せにつながっているのでしょうか?
大人だから多少我慢することも責任を取らなきゃいけないこともありますが、それは子供のための犠牲ではなく、家族や周囲全体の最大幸福値を目指してする努力でしょう。
それができないで恋人と蒸発するようなどうしようもない母親のわがままを許容せよと言っているのとは違います。
それからそれを子供向けの歌にして聞かせるって結局、「お母さんはこれだけ我慢してあなたに尽くしてるんだから感謝しなさいよ、あなたも我慢しなさいよ」っていう息苦しさにしかならなくないですか…それってすでに、無償の愛ではなくて、子供に交換条件を求めてませんか。
親の幸せをいつも願う優しい子供たちのことだから、「自分はお母さんの負担になっている、そして自分はそれに対して何もできない」って思っちゃうと思うんですよ。
そしてもし、自分がお母さんにこういうことをしてもらっていないと感じるお子さんは、「お母さんとは本当はそうあるべきなんだ、自分は絶対自分が犠牲になるいい母親になるぞ」って「いい母親像」に苦しむお母さんを新たに作り出してしまうのでは。
これがいい歌だっていって流行って、保育園や幼稚園で子供達が歌わされ出しちゃった日には…もう親としてはそんな歌を歌う子供、ちょっといたたまれないです。
そんな歌を歌わなくていい、あなたは決してお母さんの犠牲の上に成り立つ存在ではない、お母さんはあなたの犠牲にはなっていないという前提で、お母さんはあなたに会えて幸せであると理解していてほしい。
そして親離れがしにくくならないように、あなたを何より大事に思っているが、あなたがいなくてもお母さんは幸せにやっていけるから、心配しないで自由に生きなさいと伝えておきたい。