ストレートの女友達が、「飢えすぎて女の子に恋したかも」みたいなことを言っていた。
具体的にどんなことが楽しい、嬉しい、云々。
正直、ふざけないでほしいと思った。
それを笑って言っていられるなら、恋だなんて軽々しく言わないでほしい。
私がほとんど女性にしか恋できない人間だと知ってくれているのに。理解してもらえていると思っていた。
恋の尺度なんて人それぞれだ。どこからが恋だ、と分ける線引きを決められる人はいない。だから、自分が思ったその瞬間、恋が始まっているんだと思う。
だったら「かもしれない」なんて保険をかけるなよ。
「同性を好きになる」という私からしたら日常にある行為を、馬鹿にされたような気がした。
貴方からしたら、人生でたった一度の同性への恋かもしれない。だったら、そうやって自分をごまかして「あれはやっぱり恋じゃない」って流すのもアリなんだろうけど。
だったら私が今まで、そしてこれから先も、同性を好きになって、結局叶わないから泣いて、苦しんで、そういう行為は全て流されてしまうんだろうか。
こんなことで友達じゃなくなるなんてことはない。両手を超える年月の親しくしているし、これからも彼女とはお互いの趣味を共有していくだろう。
けれど、心のどこかでこの出来事はずっと引っかかり続けると思うと、つくづく自分のセクシャリティが嫌になる。
私だって好きでレズビアンをやっているわけじゃないんだからさ。
こんなことを思ってしまうのだから、大勢の人へのカミングアウトなんて到底無理だし。社会はやっぱりセクシャルマイノリティにとって生きづらい。
後付けで申し訳ないけれど、全ての同性愛(両性愛)の人やその他セクマイの人たちがこう思っているわけではないと思う。
ただ私が、「同性に恋することを特別視される」のが嫌だっただけなんだ。