2018-01-25

感情優位な友人の話

Twitterで、仲のいい子が深夜に連投をしていた。特定の一人への愚痴のようだけれど、その本人にもフォローされているし、共通趣味を持つグループの友人複数に刺さりそうな配慮のないツイート群だった。

対面では呑み込んで我慢してしま彼女は、そうやっていつも後で感情を爆発させるからグループの皆は趣味を共に楽しみながらも彼女を腫れ物扱いしている。

たとえ親切心で正論で教え諭したことがきっかけでも、彼女にとって譲れない点を侵されたら快くは思えないのは事実だし、不快に感じたならばそれを表明することは間違いじゃないと芯の通った考え方をする子だから、私はそういうとき正論をぶつけるんじゃなくまず彼女感情を認める。

感情が優位なだけで、理性では何が正しいかなんて本人は充分判っているのだ。上から目線正論ではそのギャップを堅固にするだけで何も解決しない。それを理解できないで、もう忘れたら、許してあげて、などと感情の変化を強いることばかりいう周囲もはっきりいえば想像力が足りていない。

彼女子供だと思うのは当然だと思うし、断じるのは簡単だ。黙っていたり裏で吐き出していれば、或いは傷付けた本人にだけやさしく伝えられたら、周囲を傷つけることにはならないから。でも自分感情を何より大事にしてあげて幸せを感じるとき人一倍嬉しそうな彼女のことを私は気に入っていて、愛おしいのだ。

彼女の話を聞きながら妥協案を探り、こう感じたら次はこうするといいね、と、彼女がこれ以上嫌われないよう全方位に向けたパフォーマンスをしてあげる私はとても甘い。でもそんなやさしい人になろうとがんばっている自分も好き。みんながみんな、幸せになればいい。

話の終わり、いつもありがとうね、大好きよ。と彼女に言われて、いい一日だったな、と思いながら、私は眠る

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