「正解だけが許される」世界線を生きている子がそのまま社会に出ると困っちゃう、というお話
https://togetter.com/li/1180814
こうして個々人がどれだけ真剣に考えても、結局はそれが個人の納得止まりの話になっていて、その状態がすでに十何年も続いている。
その事実そのものが、つまりは失敗作はどこまでいっても失敗作に過ぎず、どれだけ優しい言葉をかけられても、それは紛れもない正解と不正解が存在していることの証明になっている。
このようにして失敗の原因を論じられる人間と、上手く育った成功作として比較に出される人間がいて、それを今の子供たちはネットを通じて見続けている。
どれだけ同情されても、結局はその失敗作たちのその後の様子は語られないし、日々の情報の洪水に押し流されてしまい、結局はそういった存在は知ることもできない暗闇そのものだ。
個々人の人生を隅々まで知ることなんてできないことを大人は知っているが、今の情報社会に生まれて、なにかしらで常に繋がっている子供にとっては、逆にそれは不安要素でしかない。
だからこそ、比較的安全な自分の周囲で過剰な承認を得ることで、自分の存在を保とうとするし、安全でない場所ではリスクを最小限に抑えて、必要であると判断すれば何を言われても押し黙る。
まあ、これはもうどうしようもないことだし、とても悲しいことだとは思うけど、時代の流れとしては極めて正常に事は進んでいるように個人的には感じる。